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尖った才能のある人材を活かす「猛獣使い力」(インド人リーダーシップ論 #9)

前回、インド人経営者はビジネスの決断において見切り発車を厭わない、という点について議論した。今回のテーマは「猛獣使い力」だ。

私が働くインド企業では、尖った才能とキャラクターを持つ人材を積極的に登用する。会社の発展のために社内にこれまでになかった新しい考え方や知識を取り入れることに貪欲だからだ。そういう人物は個性が強く、ともすれば扱いが難しいこともあるが、彼らが自由に振る舞い十分に個性を発揮できるよう組織の中に精神的なアソビを作るのがうまい。この背景には、インドという国の多様性への度量の大きさが関係していると私は思う。

自分と違う人を包摂するインドの文化

少し脱線するが、皆さんはインド人にどんなイメージを持っているだろうか?ターバンを巻いて髭を蓄えているちょっと近寄りがたい男の人であろうか?モデルのようにスレンダーな体系にサリーを身にまとっている素敵な女性だろうか?ラテン系の風貌をしたマッチョな人?または肌が黒く背が低い肉体労働者だろうか?ヒンドゥ教徒、イスラム教徒、それともキリスト教徒?ニコニコ笑っているおおらかな人?それとも喧嘩っ早くて口達者な人?これらはどれも正しいインド人像である。インド人は一つの国の中でも、人種、宗教、文化が極めて多様なのだ。

インドは共和国であるため、各州の自治権が高く独自の文化を持っている。日本人は多少の違いはあれど北海道にいても沖縄にいても自分が異国にいると感じることはないが、インドは南と北、そして東西で人種が異なり見かけがかなり違い、言語、宗教、文化や習慣、個性も異なるのである。私の会社は商業都市ムンバイに本社を構えているが、日本で地方から東京や大阪に就職するように、インドでもたくさんの若者が様々な州から首都のデリーや商都のムンバイに仕事を求めてやってくる。当然都市にある企業には多種多様な文化を持った人材が集まるのである。インドが「サラダボール」状態、つまり、異なる種類のものが共存しているがスープのように完全に融合してはいない状態、と言われるのはそのためだ。

インド人経営者は、企業に集まった人材は同質ではない、という認識を前提として会社を経営している。このことが、「自分と違う人」を当たり前のように包摂する企業文化につながっている。

多様性を活かさなければ経営はできない

実は日本とインドの商習慣には似ているところも多い。日本では相手の話をよく聞き、みんなの妥協点を探りながら結果を出す、人との関係性を大切にできるチームワークが得意な人が好まれ出世する傾向がある。この点はインドも同じだ。しかし、どのようにチームワークを大切にするか、そのアプローチは日本とインドでかなり異なる。日本では阿吽の呼吸といわれるように、組織の構成員が共有している文化や経験が似ているため、合意形成が比較的容易だ。人々の頭の中にある共通体験を誰かが言語化してあげると「そうそう、それ」と議論がスムーズになりやすい。

インドではインド人同士でも共通体験が限られているため、議論をする際に参加者の意見が人と異なることが当たり前なのだ。インド人リーダーはこの多様性を生かして良さを引き出す必要があり、逆にこの能力がないと経営などできないのである。

「議論という名のドラマ」を使った巧みな人心掌握術

能力が高く個性の強い社員=猛獣をうまく生かして同じ方向を向かせられれば、企業のポテンシャルは2倍にも3倍にもなる。何度か引き合いに出しているが、カクタスの取締役会議を例に挙げよう。取締役会議の構成員11名のうち私以外はみな様々な地域からやってきたインド人で、前職の業界も能力も個性もバラバラの、しかし能力はずば抜けた猛獣たちだ。当然のことだが、会議で議題を提示すると全員がバラバラの意見を主張する。全員が独自の意見を持ち、誰も他の人に同意も共感していないところから話がスタートするのだ。日本人の私にとっては時にこれは地獄のような不毛な時間に思える。当然、頻繁に議論が炎上し「だめだこりゃ、まとまらないや」とうんざりして諦めるのだが、意外や意外、最後まで聞いていると不思議なぐらい深い合意が得られて終わることが多い。

一体どういう力技で議論をまとめているのだろう?とファシリテーターをしている共同経営者2人の行動を観察してみてわかったことがある。それは、彼らが「議論という名のドラマ」を使って猛獣たちを掌握する巧みなコミュニケーション技術を持っていることだ。例えばこんな感じだ。

【自由に自分を表現させる】 彼らは取締役たちの誰もが会社の発展のために発言をしていると信頼し、口論は相互理解のために有効だと考えている。「違う意見の人=敵」とはならないこと、誰であれ正直に意見を言いあうこと自体を奨励する。

【感情を掻き立てる】会議中に意識的にドラマを作る。好きなだけ言わせる時間を作る、あえて問題が明確かするまで放置する、時には叱る、要所で褒める、弱さや悩みを共有させてお互いへの共感を生み出す、などなど。

【チームプレイに持ち込む】自分を含め、「万能な人などいない」という前提に立って意見を求め、チームを組む。会議に参加している全員がそれぞれの独自の視点とスキルを持っている。それぞれがアイディアを持ち寄り、「ここは自分がやる」「そっちは君」と分業することでお互いの得意分野を活かし合うように仕向ける。

【意思決定者を明確化する】プロジェクト中意見が割れることを見越して、必ず1名の意思決定者を立てて、誰が最終決定者で誰がアドバイザーであり、誰が実行の責任者であるかを明言してプロジェクトが変な方向に向かわないようにする。

個性の強い人材を自分のヴィジョンに巻き込む力

カクタスでは、その議論の流れや人材配置の按配を創業者の2人が絶妙に決めている。事前に計画してチーム形成に必要なドラマを作り出している局面もあるようだ。インド人の多い会議で議論が長くなるのは世界の共通認識だと思うが、これまで説明した背景を理解すると、その理由に納得がいくのではないだろうか?異なる意見を持つ個性の強い猛獣たちに尊厳と自由を感じられる環境を与えて、力を充分に活かしてもらうためには、こうした手間も必要なプロセスなのだろう。個性の強い人材の魅力を経営に生かすためには、人に丸投げするのでも、自分が独断的にトップダウンで決めるのでもなく、異なる意見を持つ人たちを議論に巻き込み、あくまで話し合いで一緒に物事を決め、皆が納得する結論をつけ、かつ各自のタスクを明確にするという離れ業を繰り出さなければならない。

私のインド人上司たちはこんなふうに、自分だったら議論を投げ出して「もう勝手に決めろ!」「もういい、私が決める!」と諦めてしまう場面で類稀なる忍耐力を発揮する。おそらく幼少期から異なる立場や意見を持つ人々と生活し、自分自身も独自の意見を持つよう教育されていて、それが当たり前の世界と捉えているように見える。意見の衝突をネガティブに捉えないし、それを乗り越えて共同作品を生み出す成功体験をたくさんしてきたのだと思う。経営者はある意味自分自身が猛獣だ。自分と異なる強い意見を持っている人=猛獣と捉えてしまうのは同調圧力が強い日本で生きる自分の視点かもしれない。意見や考え方の異なる人に自分のヴィジョンを実行させ、相手も自分も満足させる技術がインドの経営者には必要なのである。

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