Be your whole self. (個人のなかの多様性)
今日は『手の倫理』(著:伊藤亜紗)より「一人の中にある無限」を読みました。
本節の主題も引き続き「多様性」です。無限と多様性。こうして言葉を並べてみると、2つの概念が結びつきそうな気がしてくるのです。
日常生活の中で「多様性を大切にしよう」という言葉を耳にするとき、何をイメージするでしょうか?
いまこの瞬間に「多様性」という言葉を思い浮かべてみると、街を歩いている人、森に生息する野生動物の姿が思い浮かんできました。
私の場合「多様性」という言葉からイメージされるのは「自分以外の何か」であることがほとんどです。本節のタイトルである「一人の中にある無限」とは「人それぞれに多様な面があって、そのすべてがその人なのだ」という「個人の多様性」に焦点をあてたものです。
灯台下暗しといいますか、多様性は「無数のなにか」だけではなくてその「一つひとつの何か」をも包含する言葉である、ということに気づかされたのでした。
それでは、一部を引用してみます。
そうは言っても、異なる考え方をつなぐというのは、言うは易しで実際に行うのは容易ではありません。分断ではない多様性を、どのように考えていけばよいのか。思い出すのは、マサチューセッツ工科大学(MIT)の廊下で見た、あるチラシです。チラシの左半分には学生らしき黒人女性二人が写っています。そしてその右側には、大きな文字でこう書かれていました。「Be your whole self.」それは、理工系の学生に向けて副専攻で人文社会系のコースを履修するように案内するチラシでした。
Be your whole self. 「ありのままのあなたで」と訳したくなりますが、ややニュアンスが異なるのでしょう。なるほどと思ったのは、「まるごとのあなた whole self」という表現でした。大学生で、遺伝子工学を専攻していて、アフリカ系アメリカ人で、南部出身で、女性で、演劇にも興味があって......例えばそんな複数の側面を持つあなたを、隠さず全部出していい。ニュートラルな「遺伝子工学の研究者」ではなく、アフリカ系アメリカ人として、あるいは女性として、遺伝子工学を研究することこそが強みなのだ。そう投げかけるその姿勢がこの「whole」には含まれているように感じました。
こうした一人の人が持つ多様性は、実際にその人と関わってみないと、見えてこないものです。一緒にご飯を食べたり、ゲームをしたり、映画を見に行ったりするふつうの人付き合いのなかで、「〇〇の障害者」という最初の印象が、しだいに相対化されてくる。フレーベルの恩物が、実際に手にとって回してみることによって初めて、立方体という見た目の形とは違う「円柱」という性質をあらわしたように、人も、関わりのなかでさまざまな顔を見せるものです。人と人のあいだの多様性を強調することは、むしろこうした一人のなかの無限の可能性を見えにくくしてしまう危険性を持っています。
「人と人のあいだの多様性を強調することは、むしろこうした一人のなかの無限の可能性を見えにくくしてしまう危険性を持っています。」
この言葉にハッとさせられました。
誰かと接するときに、人それぞれ「この人はこういう人」という印象を抱きながら接することが多いのではないでしょうか。
たとえば「この人と話をしていると楽しい」とか「この人はこれが得意・専門だから」とか「いつも機嫌が悪そう」とか...。
人から何かしらの印象を受けるというのは「コントロールできない」というか、止むを得ない部分なのだと思います。一方で、印象というのはその人の数ある側面のうちの一つであって、もしかすると偏見につながる可能性もあります。
誰かとの関係を深めていくうちに、その人の印象が変わってゆく経験をしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。その変化の過程では、その人の新しい側面を見つけている、気づいているのだと思います。
そしてその発見は、自分と相手との関係性の中で起こっている。自分と相手が重なりあう、干渉しあう中で起こっているはずです。
MITのチラシに書かれた「Be your whole self」という言葉。
「大学生で、遺伝子工学を専攻していて、アフリカ系アメリカ人で、南部出身で、女性で、演劇にも興味があって......例えばそんな複数の側面を持つあなたを、隠さず全部出していい。」と著者は補足しています。
この言葉を受けて思ったのは「自分が無意識のうちに、接する相手が自身の多様な面を表現できなくしているような働きかけをしていないだろうか」ということです。
「何でも包み隠さずに話してほしい」とか「あなたのすべてを知りたい」と相手の世界に土足で足を踏み入れるように強制、強要するつもりはなくても、そういう雰囲気というか、場の空気や環境を作っていないだろうかと。
「一人ひとりの多様な面が自然と引き出される環境、一人ひとりが自由に素の自分を表現できる環境とはどのような環境なのだろう?」
考えてみたい問いが浮かんできたのでした。
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