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「自然と耳に入ってくる会話」の影響

今日は『ソーシャル物理学 - 「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学』(著:アレックス・ペントランド)より「習慣、選択の優先規準、好奇心は何で動かされるのか」を読みました。

情報やアイデアの流れが変われば、集団としてより望ましい判断や行動につながる可能性が高まります。不確実性の高い状況においては成功者を"適度に"模倣しながら、自分としての判断を下していくこと。集団全体が特定の個人を模倣してしまうと、過剰に同質化してしまう、すなわち全体としてバイアスのかかった判断につながり「集合知」が働きません。

一方、他者から学ぶ・模倣するという営みは、どのように発生するのでしょうか。また、集団としての信念や価値観はどのように変わってゆくのでしょうか。

習慣…習慣とは、私たちが下した選択の結果なのだろうか、それとも周囲にあるアイデアの流れからもたらされたものなのだろうか?肥満や喫煙などといった健康に関する行動は、社会的学習から影響を受けることがわかっており、社会的支援は個人の健康を促進する上で大きなカギを握っている。

日常生活では少なからず無意識のうちに判断・行動していることがあります。むしろ、意識的に何かを決める機会のほうが少ないのではないでしょうか。

無意識の判断・行動の集積を「習慣」と捉えてみると、習慣がどうやって形づくられるのかはあらためて気になるところです。「無理なく長く続いていること」を振り返ってみるとどうでしょうか。

「肥満や喫煙などは社会的学習から影響を受けている」とのことですが、周囲がよく食べる、タバコを吸う人が多いとコミュニティに入る上で周囲から勧められる、断れないことが少なからずあるのかもしれません。あるいは、誰から勧められたわけではなくとも自分から「好かれよう」として似たような行動をとる。

つまり、社会的学習が「同調圧力」として作用する場合が多いのではないでしょうか。一方、過剰な社会的学習(同調圧力)は集団として必ずしも望ましい判断・行動につながらないことを考えれば「自分は自分」と割り切る、取捨選択する部分を持ち合わせておく必要があるように思います。

それを通じて、学生たちの社会的交流を把握したのである。最終的にこの研究では、50万時間分以上のデータが集められ、面と向かってのコミュニケーションだけでなく、電話の通話記録、テキストメッセージによるやり取りなどのデータ収集、さらにアンケートや体重測定まで実施された。この数百ギガバイトのデータによって、習慣が形成される過程で何が起きているのかを検証することが可能になったのである。

著者は社会実験として特殊なソフトウェアが組み込まれたスマートフォンを学生に配布し、寄宿舎において健康に関する習慣が伝播する速さを1年間調査したそうです。

たとえば健康診断を受ける際に問診票を記入すると思いますが、設問は個人の運動や食事の習慣、持病、家族等に関するものが多く、自分がどのような環境に置かれているか、どのような人に囲まれているかを問われた記憶は思い返すかぎりありません。

著者の実験のように、アンケート調査ではなく、実生活のデータを取得することで、「他者との交流」という因子を捕捉することができる。アンケート調査は少なからず質問の仕方が回答に影響を与える等あり、生活の実態が全て反映されるとは限りません。その意味でこのようなビッグデータの活用方法は非常に興味深いです。

この場合では、問題となるのは直接的なやり取りだけではなかった。体重が増加した人々の行為に、直接的な交流もしくは間接的な観察を通じて、合計でどのくらい接したのかという量が重要だったのである。言い換えれば、他人の行動がたまたま目に入ったり、あるいは他人の行動に関する話が耳に入ってきたりするだけで、アイデアの流れが発生し得るのだ。場合によっては、それは会話や電話、ソーシャルメディア上でのやり取りのように、より直接的な交流が生み出す場合以上の流れになる。

「他人の行動がたまたま目に入ったり、あるいは他人の行動に関する話が耳に入ってきたりするだけで、アイデアの流れが発生し得る」との著者の言葉は納得する部分が大きいです。

たとえば、仕事上で直接関わりのないメンバーであっても、オープンスペース等で会話している内容が耳に入ってくることがあります。聞こうと思って聞いているわけではなく、聞こえてきてしまう。

質問していたり、「自分はこう思う」と意見を伝えていたり。そうした耳に入ってくる会話の内容は案外、自分の記憶に残っているものですし、誰かが何かを問われている時に自分事として考えることもある。

働き方としてリモートワークの流れが進んでいますが、私自身は今のところフルオフィスワークです。同じ空間と時間を共有することによる「情報・アイデアの流れの変化・加速」は無視できないとわかると、「オフィスという場をどう活かすか?何のために人は顔をあわせるのか?」という問いを再考したくなるのでした。

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