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「通い詰める」ということ

今年のシルバーウィークは台風に始まり、台風で終わるという、ある意味で自然の分からなさと出会い直したような一週間でした。局地的豪雨をもたらす線状降水帯が九州地方、静岡県で発生し、各地に爪痕を残しました。まず何よりお一人お一人のご無事と、一日も早く元の生活に戻れることをお祈り申し上げます。

ふとしたきっかけで、名古屋に住んでいた時に足しげく通っていた喫茶店に足を運びました。変わらぬ店内、変わらぬ味、流れる音楽、穏やかな空気。

それこそ数年ぶりに足を運んだにも関わらず、「お久しぶりです。お元気ですか?」と昔からの店員さんが声を掛けて下さり、少しばかりの緊張もありながら「おかげさまで。数年ぶりに来ましたが、やっぱり落ち着きますね」と言葉を返しました。どこかぎこちなかったと思いますが、内心、声を掛けて下さったことが嬉しかったのです。

ふと思ったのは「通い詰める」ということ。私はどちらかと言えば、色々と新しい場所を訪れるよりも、しっくりくる、落ち着くと感じる場所に何度も足を運ぶほうです。何度訪れても飽きない。それどころか、毎回毎回が新鮮に感じる。そんな場所は訪れる回数を重ねるごとに、その場所の時間や空間が自分の内側に融けてゆくというのか、自分の身体と一つになってゆく感覚があります。

何度も何度も通っていると、見えてなかったことが見えるようになる。意識が向いていなかったことに意識が向いていく。新鮮さというのは、必ずしも刺激的なものとはかぎらない。見慣れた風景の中に新しく何かを見出すこともその一つだと思います。

通い詰めていると次第に心と身体がその場所になじみ、緊張が解けていく。どこか一点に集中しているというよりも、ありのままをありのまま。全体をぼんやりと捉える中で時折、細部に意識が向き、また全体をぼんやりと眺めの繰り返し。

通い詰めた場所は、いつしか自分のホームになっている。帰ってきた感覚を取り戻せる場所になる。そのような場所が一つでもあれば、人は穏やかに、優しくなれるのではないでしょうか。

通い続けている場所、通いたくなる場所はありますか?

さて、昨日まで『血流がすべて解決する』(著:堀江昭佳)を読みながら、身体や血流に関して学びを深めていましたが、また明日から別の書籍を読み進めていきたいと思います。


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