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ゆっくり急ぐということ〜なめらかなつながりは緊張と弛緩のあいだにある〜

「ゆっくりと急ぐ」

毎日身体を動かしている、それも無意識的に。頭、首、胴体、手足、筋肉、骨…。瞬間的になめらかに協調させて、スムーズに動いているわけですが、ではいざゆっくり動こうと思うとなかなか難しい。

たとえば、流れるような歩みを極めて遅く、ゆっくりと一歩、一歩踏み出すように動いてみると、左右のバランスが上手く取れず不安定になって上手く歩くことが難しいのです。

身体の中心軸が大きく変わらないように動くためには、足一つとっても内側の筋肉(内体重)、外側の筋肉(外体重)のどちらに重きを置くかによってバランスの取り方が変わります。

もちろん、身体のバランスを取るのに必要なのは足の筋肉の使い方だけではありませんが、ゆっくりと身体を動かすと日常生活の中で身体をじつに「なんとなく動かしている」ことに気付きます。ヨガや楽器を練習していても同様の感覚を覚えます。

一つひとつの動作をゆっくりと正確に、適度にリラックスしている状態で。一つひとつの動作がゆっくりと正確に反復できるようになってきたら一連の動作をつなげてゆく。すると、緊張しすぎても弛緩しすぎてもつながらないことに気が付きます。

動いても止まっていても。「なめらかなつながり」は緊張と弛緩がバランス(均衡)するところに存在していると「からだ」が教えてくれるのです。

私がときどき行うワークショップに、極端なほどゆっくり動き、それを基に作品を作っていくというワークがある。随意筋の動きをすべて遅くし、非常に遅い時間感覚を体内に取り入れていく。日常の動きに比べて1/100程度のスピードにからだの動きを変えて、大きく口を開けたり、手を上げたりする動きを入れてもらう。「その動きは何を意味するか」などの言及は一切なし、可能な限り思考も止めるように言います。

小池博史『からだのこえをきく』

ゆっくりした時間の中に全面的に身を委ねていくことだけを求める。たったそれだけのことから創作していくのだが、人はゆっくりした時間軸の中に生きることができるようになると、からだの動きは自身の感覚的な記憶と一体化して、意味が内側から発生してくる。眠ったままの、思い出せない記憶が澱のように積み重なって今の私たちを形作っているが、「口を開ける」、「手を上げる」等の行為は、自身の中の、形状として記憶されている感覚的な部分を呼び覚まして、きわめて遅い時間軸の中で生き生きと蠢き出す。

小池博史『からだのこえをきく』

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