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「比べようのないことを比べない」ということ。

「あの人のようにできたら…」

憧れ、うらやましさ。そのような気持ちは、自分が前へと進む力になることもあれば、時として自分を縛る足枷になることもある。いわば諸刃の剣のように思うわけです。

今日も少しばかりヨガの話です。私はヨガスタジオに通って、色々な方と同じ時間、空間を共有して、身体を動かしています。スタジオには一面に鏡があり、皆さんそれぞれ自分の身体が映っていて、いま自分の身体がどのような状態か外から観察しつつ、時に姿勢を修正しながら、それぞれのヨガを深めておられます。

そして私がヨガを始めたばかりの頃、「周辺視野」で他の方の様子が視界に入ってくるので、「あの方はすごいな…自分ももっと頑張らないと…」と無理をしてしまうことが多々ありました。

ですが、人それぞれ身体の癖がありますし、日によって心身の状態も違います。つまり、自分と他の方では前提条件が異なるにも関わらず、背伸びをしてしまったんですね。結果、力んでしまって呼吸が入らなくなってしまい、時に怪我をしそうになったこともあります。

自分は自分、その時の心身の状態をよく観察して、最善を尽くそう。昨日できたことが今日もできるとは限らない。現在のカラダの声に耳を澄ませることから。

そのように思いながら内観を繰り返している内に、周辺視野で捉えているはずの他の方の様子が意識から外れてくるようになりました。ましてや鏡に映る自分の姿への意識すらも薄れてゆき、気付けばどのように身体を動かしたのか覚えていないけれど、自分の重さを感じないぐらいにバランスしていた気がする…という無意識、空っぽの状態で身体が動いていた、ということもあります。

深く、ゆっくり、じっくりと呼吸しながら、自分の内側を内観する。時には気分が沈んだり、気が重くなることもありますが、内観する習慣がついたことで、自分が抱えている重たいものとの距離を置いて少しずつ軽やかさを取り戻せる瞬間が増えたように思います。自分と他者を比べない、過去の自分とも比べない、ということ。

自分独りでじっくりと考えなければならない。他の誰も、自分のように考えてはくれないのだ。自分の頭に帽子を乗せるのが自分だけであるように、考えることはつねに自分がしなければならない。

白取春彦『ヴィトゲンシュタイン 世界が変わる言葉』

誰かがそれはくだらないと言ったのかい。頭から否定したのかい。すばらしいと賛成してくれたのかい。否定されようが、賛成されようが、きみがいいと思ったらそれでいいじゃないか。否定も肯定もたんに表現にすぎない。言葉にすぎない。誰かから何と言われようと、それで事実がほんの少しも変わってしまうわけじゃない。

白取春彦『ヴィトゲンシュタイン 世界が変わる言葉』

比べる癖はよくない。比べて価値を決めたがる癖はもうやめよう。どんな人にもどんなものにも、それぞれ自分にとっての価値や美しさがあるのだから。たとえば、デザインのすぐれたソファと、恋人と行く劇場の入場券。この二つの価値を比べることは途方もなくナンセンスだ。お金で買えるものにしてもこういうふうに比べることなんかできない。だから、わたしたちのたいせつなものに関しては、言うまでもないことだ。

白取春彦『ヴィトゲンシュタイン 世界が変わる言葉』

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