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生命は「秩序と無秩序のあいだ」にある、ということ。

「安定ゆえに不安定、不安定ゆえに安定」

昨日はそのようなことを綴りました。

型にハマりすぎると窮屈で飽きてしまうし、型がなければそれはそれで方向性が定まらない状況が続いて疲れてしまう。そのようなことを思うわけです。

それはつまり、自然に任せておくと、いずれにせよ物事、事物は「崩壊に向かっていく」というのか「沈んでいく」ような力が働いているのではないか、と思うわけです。

崩壊するから再生がある。菌による物質の分解、循環を思わせる世界がある一方、生物の命は失われてしまえば元には戻らず、したがって崩壊に抗い続けることで生命は保たれている。

渦が絶え間ない流れの中に存在しているように、エネルギーや物質が継続的に散逸することで秩序が維持される。これは「散逸構造」と呼ばれますが、その射程は何も物質的な世界に留まらないと思うのです。

たとえば、「物事の考え方」も射程に入るのではないでしょうか。生物には肉体的な寿命があり、絶え間なく変化していきます。

肉体の成長と共に出来ることが増えてゆくことも、肉体の衰えと共に出来ることが以前に比べて少なくなってゆくこともある。

その肉体の変化を受け入れながらも、状態に合わせて生き方、考え方を適応的に変えてゆく「しなやかさ」が必要で、それには時として慣れ親しんだことを手放していかなければならないかもしれません。

つまり、身体のみならず、価値観や思考においても「散逸構造」という「しなやかさ」を保ち続けること、それは言い換えれば「心身の調和」を保ち続けることが生きてゆく上で大切だということを意味するように思うのです。

秩序と無秩序の境は「カオスの縁」と呼ばれますが、「変わらないために変わり続ける」という心持ちは「カオスの縁」という概念によってなめらかに包まれていることに新鮮さを覚えました。

自己複製的な物質代謝を行うようになった多数の分子や、多細胞生物を形成するよう自ら振る舞いを調節させる細胞、そしてさらに生態系や経済・社会システム。これらがいったい何が共有できるというのだろうか?作業仮説として採用すべき一つの素晴らしい可能性、大胆ではあるが繊細な可能性は、「生命は多くの場合、カオスと秩序の間で平衡を保たれた状況に向かって進化する」というものである。生命は「カオスの縁」に存在する、という効果的なフレーズはこの作業仮説を強調するものになる。

スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理 宇宙を貫く複雑系の法則』

そして、「ゲノムのシステムは、カオスへ相転移する直前の秩序状態にある」という考え方は魅力的であり、それを支持するかなりのデータもある。もし凍結した秩序状態に系が深くはまりすぎてしまうと、柔軟性が足りなくなって、成長に必要な遺伝的活動の複雑な連鎖が調和的に働かなくなる。逆に、もし気体的なカオス状態に系が深くはまりすぎてしまうと、十分に秩序化することができないだろう。カオスの縁 - 秩序と意外性の妥協点 - の近辺にあるネットワークが、複雑な諸活動を最も調和的に働かせることができるし、また進化する能力を最も兼ね備えているのである。

スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理 宇宙を貫く複雑系の法則』


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