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「正しい」とは何か?

「正しい」とは何か?

「私は『何が正しいか』分かった、貴方は何が正しいかわかっていない」と言って、私を侮辱する方がありました。その前の話として、私が『ブッダのことば-スッタニパータ-』(中村元訳、岩波文庫)を取り上げ、「ここには普遍的真理が書かれています」と書いた事があります。

『ブッダのことば-スッタニパータ-』(岩波文庫)

その方が『ブッダのことば』を読んだのかというと、読んでいないと仰有るのです。それで話が通じるのか、疑問でありますが、当然通じません。しかし、私としては、初期仏典或いは聖書の言葉でも、なぜそれを「正しい」と言えるのかと、考えるきっかけになりました。

「正しい」とは何か? What is the right thing to do?

アメリカのハーバード大学教授のマイケル・サンデル氏の同名のスピーチがあります。

マイケル・サンデル氏の様子はどこか得意気で、癪に触るものがあります。人間の命の選択を、知的ゲームとしてのみ捉えているのではないか?

参考程度にご覧頂くことにして、私の見解を続けます。

「正しいとは何か?」それは教育の問題です。生まれたばかりの赤ん坊に聞いても、何が正しいかなど分かりません。教育が、人間の中に、倫理性を作り出すのです。古の賢人たちの言葉は、何の批判もせずに無条件に正しいのです。それを言わば行動療法的に、頭の奥底や身体に刷り込む事です。それが、倫理や道徳を身につけることになります。今はそういう事ができなくなってしまっていますが、躾の問題です。

ゴータマ・ブッダやイエス・キリストの言葉をなぜ正しいと言えるのか?それは、彼らの教えを身に刷り込んでから、考えればいい事です。それが哲学だと思います。

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ここからは余談です。

一昔前に、子どもが「なぜ人を殺してはいけないのか?」と問い、大人が答えられない場面がありました。普通に考えて、分かるでしょう。「人を殺していいよ」と言って、隣近所そこら中の人々が銃やナイフを持ち、いつ自分が殺し、殺されるかわからない、そんな状況がたまったものではない、というぐらいは、皆さん、分かりませんか?

日本の所謂「思想家」「哲学者」が子どもになって、当たり前に考える事ができなくなり、屁理屈を捏ね回す。末期的状態だと思ったものです。

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