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東京発着のウルトラマラソン柴又100K完走記

昨日江戸川の河川敷で開催された100kmのウルトラマラソン、柴又100Kを走り、無事に完走しました。
新型コロナウイルスのもと、大会を準備してくださった方、ボランティアで夜遅くまで応援の気持ちで水をくださった方には感謝してもしきれないです。ありがとうございました。


2015年の飛騨高山以来、5年ぶりのウルトラマラソンで、自分がまた100km走れたことにびっくりしています。

ウルトラマラソン、というのはフルマラソン(42.195km)を超える距離のマラソン大会で、柴又100Kは柴又から江戸川の河川敷を走る100kmの大会です。首都圏で唯一の陸連公認のウルトラマラソン大会ということもあり、新型コロナウイルスの流行前は人気の大会でした。

私にとって柴又100Kは縁の薄い大会でした。都内の河川敷の大会ということで都民である自分の中で観光的な萌え要素がなかったからです。今回は何度も参加されている方との会話の中で盛り上がってのチャレンジでした。

コロナの中で大会がなくなっていく中、走れることがうれしかったといくこともありました。


はじめは5月の大会がはコロナのために当初は11月の予定に。10月9日に実施とのことは7月に決まってたそうなのですが、私がそのことを知ったのは9月3日。夏暑い時期の練習を避けていた私は参加前からテンパりました。


そんななか練習をはじめたのですが、暑いのが嫌で、練習は山道を走るトレイルランニングだけになりました。山道は平地を走るより時間がかかることもあり、30km以上走ったのも山道ではなく飯能から横瀬の峠の林道をはしる奥武蔵グリーンラインの一回だけ。不安は残るものの、怪我だけはせずに大会に臨みました。

朝4時に自宅を出て、電車の中でとなりにいらしたトレランのスペシャリストの小学校の先生と都内のウルトラの萌えないポイントを話しながら柴又に到着。
(地方のウルトラマラソンは地域おこしもあり前泊して美味しいものが食べれるので、自宅から始発の電車で出発ということ自体が萌えないポイントです)
 
初めての柴又に驚きながら、スタート地点に到着し、私を誘ってくださった方と合流し、着替えたらすぐに出発です。100kmの部の参加者は700人を超えた程度。
 
出発したのは6時44分、レースの終了は20時45分で制限時間は14時間。練習不足の私は、14時間まるまる使うつもりでした。
レースプランは前半頑張って後半だれるというもの。はじめの50kmを6時間後(7.2分/km)の12時45分頃に終え、次の25kmを3時間20分後(8分/km)の4時5分で終えられたら、残りの25kmを4時間35分(11分/km)で半ば歩きながら余裕を持ってゴールできるというものでした。
 
走り始めて感じたのは江戸川の堤防沿いは表情ゆたかたったこと。本番で走るまであえて江戸川に行かなかったのですが、水道橋や水の塔があり、横切る鉄道路線も京成、つくばエクスプレス、武蔵野線とバリエーションもあり意外に飽きずにすすめました。
 
そしてもう一つ驚いたことは風が強かったこと!対岸から吹いてくる風が強すぎて、気分はほとんど登り坂でした。目の前を肉食の蜂が獲物を抱えてとんでいたのですが、風にながされてよろよろしていました。支えるものもなく飛ぶ彼か彼女の仕事に同情しました。

また堤防の数少ないアップダウンもゆるいと言うことはありませんでした。トレイルのように走って足のダメージを減らすことができていたことで後半まで比較的足を残せたのは助かりました。
 
柴又100Kできつかったのは風や傾斜ではなく食事でした。地方の大会では味噌汁や、場所によっては90km地点で肉が振る舞われ、私たちを酒のタネにして道でお酒を飲む人から地元の焼酎をいただけます。しかし、今回の大会で出たのは、一口まんじゅうくらい。。一番残念だったのはブッセがまるごとひとつ配られてたことでした。口の中に軽く入るものがほしいのに、ブッセ一つだと4口くらいかかります。そしてブッセは口の中の水を奪います。そして折り返し地点でもらえるコンビニのおにぎりの大きいこと!やはり口に入らず、食べるのを諦めました。


結局、エイドステーションでの食事は行きにブッセを一口分、折り返し地点でもおにぎりを一口分頂いただけ。折り返し地点で配られていたアミノバイタルを大量確保できたのは幸いでしたが、このフードの取り揃えはレース後半に入ったときのペースダウンの原因になりました。せめてブッセは4分の1切ってほしかったです。3万円払っているし。
 
さて、レースはというと、今回のコースは柴又公園から25km上流までの周回コースを2往復するというもの。夜5時15分の日没後は真っ暗になるのでヘッドライトをつけて走りました。
はじめの一往復・50kmはそつなく6時間でまとめたのですが、30km手前で飲んだ鎮痛剤の副作用と軽い寝不足で30分程度睡眠。この間にトップランナーが100km走りきったことは驚きでした。
そして、次の25kmを走り始めたところでペースが落ちます。もともと60km付近で私はダレる傾向にあるのですが、今回は足のダメージも全くないので不思議に感じながら歩きつつ、次の10kmを90分かけて進み、三郷で待ってくれていた応援と合流。どこでも給水できるようウィルキンソンのボトルをもらいました。
そして次の給水所で預けていた自分のトレラン用の羊羹とドライフルーツを手に入れてドライフルーツのレモンを肴にウィルキンソンを飲んだ瞬間レモンのクエン酸が舌から脳みそまで直接響きました。このときまで、自分は根性がなくて走れなくなったのだと思ったのですが、私に足りなかったのは食塩とクエン酸、そしていつもの羊羹のカロリーだったのです。


とはいえすぐに体が回復することはなく、次の15kmも休みながら向かい、最後の折り返しについたのは5時近く。3時間50分強いかかった50kmからこの折り返しまでは1キロを9分程度で進んできました。


当初のレースプランでは4時5分に到着し、残りを半ば歩くことにしていました。
残り3時間50分弱でゴールするにはまた1キロ9分程度で走り切る必要が出てきました。
折り返しの少し前から、補給した栄養の効果が出てきていて、8分強/kmで走れるようになっていました。
ランニングウォッチの電池がなく自分のペースは正確にはわかりませんでしたが、幸いなことに日暮れ近くになって風がなくなったことから、ジョギングのようにペースを一定させやすくなっていました。
少し前で飲んだ鎮痛剤が効くことを祈りながら、腹をくくりました。


あたりは暗くなりました。ヘッドライトをつけました。後ろからロードバイクが来るたびにヒヤッとしました。早朝から始まる地方の大会ではいただけていた反射材は、事務局の送ってくださった荷物に入っていないか、それとも私が見落としていました。


日のくれたあともボランティアのみなさんは私たちに水やスポーツドリンクを休むことなく配ってくださいました。水はいいから元気をくださいというとハイタッチもしてくれました。ブッセを持っていってくださいという声には心のなかでお詫びしました。
 
結論は先に書いたとおり無事に完走しました。
最後の25kmのうち22kmまでは止まらずにそのままのペースで走り切りました。最後の3kmで足が持たなくなったのですが、休み休み走ってゴールしました。疲れてしまい、家に帰ったら風呂を浴びるのが精一杯でした。

最後になりますが、今回は大会の運営事務局のみなさまにはご調整本当にありがとうございました。ボランティアのみなさんや私設エイドのみなさんからは補給と、なによりもあたたかい応援をいただきました。
ありがとうございました。

リアルの大会は本当に楽しかったと同時に、柴又100Kは、フードのこととか本当に改善してほしいことはあるのですが、都市部のウルトラマラソンの大会として、楽しめました。