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コラム集2

171
コラム徒然
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#小説

学術書と小説の差異

文才というものは既にあるものを面白い形に表現できることもそう呼ぶんだよ。
アンモナイトの絵を表現すること自体をだれがやっても剽窃などと呼ばれるときはすでにあるアンモナイトを絵で表現した作品を勝手にすべて真似して自作として発表したとき。文章の剽窃は客観的事実をそのまんま書いたときはそうは言わぬ。
wikipediaの記述の客観的妥当性の検証というものが基本的にあるので、客観的事実であると他でも確認さ

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日本国紀という小説

日本国紀に銅鐸文化圏と銅矛文化圏を敢えて使うとあり二つの文化圏は重ならないとあるが島根県出雲市斐川町(遺跡発掘当時は島根県簸川郡斐川町)の荒神谷遺跡から大量の銅鐸と銅矛がまとめて出土したので銅鐸文化圏と銅矛文化圏があって二つは重ならないという説は成り立たない。たった一つに近い事例だが、反証例は一つあれば論説の証明を覆えせる。荒神谷遺跡はそういう遺跡である。
一応、日本国紀には一部例外の地域ありと銅

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日本国紀を読むことで思うこと

このnoteの続きです。
日本国紀という小説|ひかわまこと @makotohikawa|note(ノート)https://note.mu/makotohikawa/n/n68559f21e430

日本国紀に日本には民衆の虐殺はまったくなかったと書いてあるが、織田信長の一向宗門徒への行いは虐殺だったのではなかっただろうか。
日本国紀は種類で言えば講談のようなもので、著作権などの存在しない話に推移し

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火垂るの墓

野坂昭如の原作を読んでいて高畑勲の映画をみてわしが感じたのは、生きるって苛烈で時として大きな心の傷を負うこともあると思った。
高畑勲は反戦アニメとして製作したというより生きるって苛烈なことなんですよの題材として火垂るの墓を選んだだけのような気がする。
小学校の戦争教育で火垂るの墓を見せて、あまりの迫力に凄いものを見たと感じている子どもの中から力なく脱力の笑いを漏らすのをこれをみて泣くのが人間だろう

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小説の書き方

 小説というものに決まった書き方があるようにはどうも思えない。
 自分の感情に嘘を吐かず、思うことを叙述するのがいいのであって、その感情表現に確たる手応えというものがあり、その題材で描くものであり、小説は正義の主張をするために使う表現方法ではないのかもしれない。
 綺麗事ばかりではどうしても心に泥がたまる、ということを五木寛之がコラムに書いていたが、その泥吐きをすることで、心のバランスを保とうとす

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