火垂るの墓

野坂昭如の原作を読んでいて高畑勲の映画をみてわしが感じたのは、生きるって苛烈で時として大きな心の傷を負うこともあると思った。
高畑勲は反戦アニメとして製作したというより生きるって苛烈なことなんですよの題材として火垂るの墓を選んだだけのような気がする。
小学校の戦争教育で火垂るの墓を見せて、あまりの迫力に凄いものを見たと感じている子どもの中から力なく脱力の笑いを漏らすのをこれをみて泣くのが人間だろう笑うなんてけしからん笑ったものは反省文書いてこいと言った教師がいたという。教師にはそういうアホが多い。
表現した人間がそれを届けて受け取った子どもはその表現そのままを鑑賞してメッセージを汲み取ったのにそれを伝えた教師は見えて見えずの状態だったと端的に物語っている。火垂るの墓で泣かないなんてって、ある特定の感情しか作品鑑賞で湧いてこない人間って大分まずいやろ。小学校の授業で反戦教育や道徳教育の教材で使うつうのは教材研究不足で人間の感情をある感情だけ強制という最悪のだめ教師やんか。
宮崎駿のもののけ姫をロードショーで観に行った時の小学生たちがそわそわして観ていたということでも思ったけどバイオレンスや性的表現だけがR指定の要件とは限らんで。PG12とかって指定するしないって厳密な方がええが、火垂るの墓もある意味ではPG12の作品かもしれんで。
本当に悲しい時に泣く人間と泣かない人間とがいるというそれをわからずに、火垂るの墓見る→号泣つうのんそういう人が多いからって決めつけるのは本質から外れてると思うよ。火垂るの墓見て、大きな心の傷を見た時に感じる心のざわつきに居心地悪くなって、生きるってなあ、って思ったんよわし。
映画封切りの時の糸井重里のコピーの4歳と14歳で生きようと思ったというのがあの火垂るの墓の映画をよく言い表していると思うわ。
高畑勲という巨匠の追悼放送はやはりこの火垂るの墓になるんかのうと思った。この際、じゃりんこチエやかぐや姫の物語も放送か再上映ってないんかのう。観に行くけどなあ。