小説の書き方

 小説というものに決まった書き方があるようにはどうも思えない。
 自分の感情に嘘を吐かず、思うことを叙述するのがいいのであって、その感情表現に確たる手応えというものがあり、その題材で描くものであり、小説は正義の主張をするために使う表現方法ではないのかもしれない。
 綺麗事ばかりではどうしても心に泥がたまる、ということを五木寛之がコラムに書いていたが、その泥吐きをすることで、心のバランスを保とうとするのであれば、SNSは泥や汚物の言葉が溢れかえっているのも自然現象であろうか。
 心にナイフを突き立ててリストカットをするのであれば、その様な表現をする小説も沢山あり、許されていることである。ただ、それを表現することで心の泥が浚われて、心から悪い血が出て解毒された、というのでなければ、小説を表現することでその小説家の人生は自分で命を絶って幕を引くということも実に多い。
 そういう具合に小説には決まった書き方があるようにはどうも思えない。