学術書と小説の差異

文才というものは既にあるものを面白い形に表現できることもそう呼ぶんだよ。
アンモナイトの絵を表現すること自体をだれがやっても剽窃などと呼ばれるときはすでにあるアンモナイトを絵で表現した作品を勝手にすべて真似して自作として発表したとき。文章の剽窃は客観的事実をそのまんま書いたときはそうは言わぬ。
wikipediaの記述の客観的妥当性の検証というものが基本的にあるので、客観的事実であると他でも確認されている事柄をそのまんま書いたからと剽窃ではない。自説を述べる根拠に客観的事実を使うのは構わないだろう。
ただ、検証作業が国によって真っ向意見と立場が反対の事柄を一方の国の見解を述べるのは一説であって事実かどうかというとそれはおぼつかない。
小説で事実に基づいてそれを脚色して叙述するということと学術書で客観的事実を蓄積することが当然異なるのは当たり前で、小説のように歴史を語っていくとするなら歴史的事実の学術書というより歴史小説とか伝奇小説である。