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逗子と女川が花火でつながる

ふくしとぼうさい日記855日目。
日々の活動から、街の課題解決のチャレンジをしています。

東日本大震災から12年がたち、東日本大震災の風化が進んでいます。
震災の年から宮城県女川町に行き続けています。
ご縁をいただき、最初は被災地でのイベント支援、その後は仮設住宅支援、土方作業や型付け作業、畑づくりや産業づくり、復興公営住宅ができてからは交流事業を行ってきました。

今日、逗子海岸花火大会が4年ぶりに開催されました。
逗子の方々と女川の方の懇親会が3月に開かれた際に、逗子海岸花火大会に女川の皆さんを招待して、そこからまた交流活動を継続していくのはどうかと企画が始まりました。

紆余曲折を経て、石巻の子ども5人と、女川の高齢の方6人がお越しになることとなり、今日午後に交流会を、そして花火大会見物を実施しました。

13時に自宅で、女川そして逗子の皆さんとの交流のためのカレーを作りました。

14時に到着した女川の皆さん。
宿舎である葉山で一息ついたあと、16時半前に葉山を出て、逗子の交流会場に向かいます。

サードプレイス仲町橋という場所で、女川の皆さんと逗子の皆さんの挨拶をしたあと、一緒にカレーを食べて時間を過ごします。

子ども達、すぐに仲良くなり、ずっと楽しそうに笑っていました。

その後花火大会会場に向かい、ご用意をいただいた席で花火を皆さんで楽しまれました。

私は市議会議員のため、招待席ではなく別場所で待機していました。素晴らしい花火でした。

その後交流会場に戻り、車で宿舎に戻りました。
名残惜しく分かれて一日が終わりました。

東日本大震災での現地での復興支援活動は、福島県の福島第一原発の付近の地域を除いては、支援活動がなかなかない現状があります。
しかし、あのような大災害があったこと、そこからつながってきた絆をつなぎ、震災の継承をしていくこと、このような継承活動が、今私たちにできることではないでしょうか。

忘れないつなげていくこと。
次は逗子の子どもや逗子の人たちが女川に行って交流してきたいと考えています。
ここから始まる新しい3.11の活動です。


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