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小説_『カラス』

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ひまわりの咲く季節をまだ18回しか体験していないとき、ぼくはなにも考えていなかった。
とにかくたくさん遊ぶこと、女の子と出会うことだけを考えていた。
先のことなんて、考えちゃいなかった。
今が楽しければそれでいい。本当に心からそう思っていた。
もしあのとき先のことを考える力があれば、今のぼくは存在していない。

そもそもあのときはその考え方が正しいと思っていたし、それ以外のことは思い付きもしなかった。
まっすぐに、純粋に、前に進んでいると確信して生きていた。

でもあの事件が起きてからぼくの考え方は一変した。

ある日、子供たちは手に入れた箱から先端の赤い棒を取り出した。
先端の赤い部分を箱のヤスリのような部分に擦り付けると、熱い実態のない青とオレンジ色のゆらめきが出現した。
ゆらめきを簡単に起こすことができるその仕組みが、子供たちには魅力的で興味が尽きなかった。
それはぼくが住んでいた家の前での出来事だ。

捨てられたマッチには、まだ火が残っており、ぼくの家の倉庫を焼き切った。
それだけではない。
倉庫から燃え移った火は、なにかを燃やすことを喜んでいるように、家に引火し、多くのものを焼き切った。
焼かれたものの中には、あとで整理しようと考えていた物たちがあった。
それは今無い。
あとで、という言葉は信用してはならない。
たとえ、自分の言葉だとしても。

あのときは世界が終わったような気分だった。
もちろん、世界が終わったことを体験していないぼくはそれが本当にそのような体験だったのかは断言できないし、断言するべきでは無い。
あの体験が、世界が終わるときの状況に等しいと思い付いたのだ。

客観的に見るとぼくの世界はそんなことでは終わらないことがわかる。
よくわかる。しかしあのときのぼくにはそれがわからなかった。
客観的に自分を見ることなんて、思いも付かなかった。

でも時が経つにつれて今後をどうするのか、初めて考えるようになった。
今がよければ良いと思っていたぼくが、先のことを考えるようになったのは、不覚にもマッチ箱のおかげであった。
先のことを考えるという側面から考えると、倉庫や家が焼き尽くされたことはプラスのことだったと言っていいだろう。

空を眺めていると、メッセージがきた。
聞きなれた音をスマートフォンが発信する。
ぼくの耳に届く。
何度このプロセスを踏んできたのだろうか。
余裕があると、そんなことも考える。
メッセージにはこんなことが書かれていた。

多面的に考えることで選択肢を減らすことができる。

メッセージを読んだぼくは返事を考えた。
スマートフォンに文字を入力する準備はできている。
あとは文字という記号を組み合わせて、文書をつくるだけだ。
ぼくはこう返事をした。

それは空を飛ぶカラスのようだ。
俯瞰的に世界を見つめ、獲物を見つける。

出掛けるときは必ず橋を渡る。
下を向いて川をみることはない。
常に上を向き、空を飛んでいる鳥達を眺める。

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