見出し画像

印象と思い込み

九州のとある高校で感染対策のために校長室から校長先生と生徒会執行部の学生5名が校内放送を使って全校生徒に向けて話をしたということがそのときの写真付きで学校のホームページに掲載されました。
そのときの写真が、校長室のソファで校長先生を真ん中に両サイドに3名の女子生徒が校長先生の両手を支えるように座っており、男子生徒2名は後ろに立っているというものでした。
それがツィッターでこんな写真を学校のページに載せるなんて、女子生徒がかわいそうだとか、おかしいこの学校の教育はどうなってるのか、気持ち悪いだの、3万を超えるイイネと1万を超えるリツィートがなされ今も凄い勢いで上昇中です。
それを見て、ふと何がおかしく感じるんだろう?
もしこれがパラグアイだったら何もおかしくないどころか、お年寄りの校長先生を大切にする子供たちという微笑ましい写真になる。
きっとこの先生も生徒思いの良い先生なんだろうなと。
それが日本人だと、どうして変に見えてしまうんだろう?
と考え込んでしまいました。

それで妻にも尋ねてみました。
そしたらそれは「本人、生徒たちの問題で、嫌々こういうことさせられたのだったらおかしいけど、自発的に生徒たちから先生を敬う気持ちでこういうシーンになったのだとしたら何も問題ない」とのこと。
たぶん、この写真に対する嫌悪的な反応が多かったのは、日本の現代社会の「人間関係が軽薄になっている」のが原因ではないかと。
というのは、妻も東北の田舎の出身ですが、田舎ではお年寄りと一緒に生活する家庭もまだ多く残っているのですが、都会ではお年寄りに接することがあまりないのでわからないのではないかと。
「変にいやらしく勘ぐりすぎだとしたらかえってこの子たちも先生も可哀そう」と言われ、なるほどと思いました。
私もこのまわってきたツィートに「パラグアイと違ってなぜ日本ではこれがいやらしく見えるのだろう」というようなコメントを入れていたのですが、写真もシェア拡散することになるのですぐに削除しました。
そしてあらためて写真なしでこのブログに自分の意見を書くことにしたわけです。

冷静になって考えてみれば、見方によっては必ずしも変な写真でないのですが・・・。

おそらく私がこのブログでこう言っても、いやこれをおかしいと思わないあなたはおかしいと思う人も多いでしょう。
でも私はこれがおかしく見える日本の社会の方がおかしいと感じます。
日本ではおかしいと感じる人が多いということから確かにおかしいのかも知れないですが、大家族で家に住み、ハグとキス文化があり、道で通りすがりに出会った人に挨拶をするのが普通な国ではあまりおかしく感じないのです。

前に日本から来た叔父さん達を地方に案内したときに日本でいういわゆるJKの女の子から無邪気に親しく話しかけられて、日本じゃありえないと変な意味じゃなく喜んでおられました。
また、パラグアイでは知らない人でも挨拶しないと逆に変だと思われますが、日本ではすれ違った子供に声かけるだけで犯罪と思われてしまうようです。

妻は、「確かに変な人もたくさんいるので警戒するのは仕方のない面があるけど、見た目で判断する人間社会がジジイ=スケベというレッテルを貼って純粋なものまで疑うようになり、様々な関係を希薄なものに変えてしまったのかも知れない」と言います。

おかしく見える、おかしく見えない、それはどう説明したら良いか難しいですが、まあ印象なのかも知れません。

私もこの写真と付いているコメントを見て思わず変だと思いかけましたが、それは男の先生=スケベ、JK=援交問題などと重なり合った社会的先入観があるからではないでしょうか。

でも、一度思い込むと、なかなかそれをノーマルな状態で見直すことは難しくなります。
ですから、ものすごい勢いでコメントが炎上しリツィートもされるのでしょう。
この写真のことを擁護する意見はまず一つもありません。
ということは、ツィッターで騒がれているように本当におかしな写真なのかも知れません。
でも、もしかしたら本人たちは何とも思っていなくて、たとえば手を繋いでいるのは不自然、誰がやらせたんだろうと疑えばおかしなことですが、もし女子生徒たちが校長先生に親しみを込めて自発的にやったのだとしたら、この写真への批判は当事者たちに対してかえって失礼なことになってしまうのではないでしょうか。
もし、本人の言葉でこのときの状況を説明する情報が出てきたとしたら、はっきりするのでしょうけれど・・・。
これだけ批判されたらもう本人たちも言い出しづらいだろうと思います。
あくまでも私の感じですが、校長先生が女子生徒の肩に手をまわしているわけではないですし、女子生徒が自ら先生の手を取って上に挙げているようにも見えましたし、そうであって欲しいと言う願いもあります。
真実はわかりません。

これと同じようなことが今回のロシアによるウクライナ侵攻問題においても起こっているのではないかとふと思いました。

まず日本のテレビが間違ったことをいうはずはないという先入観が海外と比べて日本人のほとんどの人にはあるそうです。
そのテレビではロシアが悪いと一方的に連日、かなりの時間を割いて報道しています。
しかし、冷静な目で見ていると、そのほとんどがロシアはこういう国、プーチンはこういう性格、歴史的にこんなことをしてきた国、だからこんなことをやらかすかも知れない、といった印象操作です。
そしてその印象にマッチしたコメンテーターや現地の証人を選んで報道しているようです。

そこで出来上がった印象が自分の判断となっていき、そこでロシアがどういう背景、意図でウクライナへ侵攻したか、新たな情報が入ってきてもロシアが悪い、ウクライナが可哀そうという判断はもう覆らなくなります。
しかも、ロシアからの立場を少しでも言おうものなら、それがたとえ中立的専門家の意見や、現地からのレポートであったとしてもロシア擁護派の陰謀論として一蹴、内容を吟味しないまま考えを改めることはほぼできなくなります。
それも先手を打ってマスメディアが反ワクとロシア擁護派がリンクしていることをニュースで拡散しているから尚更です。

それこそ陰謀論なのですが、もう一度思い込んだら、違った意見に耳を傾けることは難しくなります。
そして、テレビで流されるニュースがたとえフェイクであったとしても、自分の考えに合ったものであればほぼ疑うことなく受け入れていきます。(それはどちらの立場でも言えることですが・・・)
つまり、テレビの情報とネットの情報との対立がそこに生まれているのが今の現状ではないでしょうか。
私からしてみれば、みんなどうしてわからないのだろう、と正直ここまで入ってきた情報を見てくると不思議になるのですが、それくらい印象操作というのは強力だということですね。

とふと、今日のツイッターの炎上騒ぎをみて感じました。

追記)あれから地元の生徒や卒業生の書き込みを見ました。一人一人の生徒を思いやり、ゆるキャラでとても人気がある良い校長先生とのこと。やっぱり。私の思った通りで良かった。でも、リツィートがどんどん増えて否定的コメントの多さ。それだけみんな良い大人に出会わなかったってことなんでしょうね。だから校長先生の人柄も生徒の気持ちも想像できない。悲しい日本の社会、現状です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?