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#970 記憶改変?過去改変?っていう話です。

クリスチャンとして、ひとを赦さないとダメだよー、ってことは耳にタコが出来るほど聞かされて重々承知しているつもりなんだけど。。。

でも、どんなに赦そうとしても赦せない。どんなに忘れようとしても忘れられない。そういう気持ちがあることも事実だよね。

いったい、どうしたらいいんだろう。。。

今日の聖書の言葉。

互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。
エフェソの信徒への手紙 4:32 新共同訳

もし神が神であるのなら、神の力を使ってどんなことでもできるわけだから。。。

だとしたら、たとえばだけど、記憶を改変することが「神」ならできるかもしれないし、それどころか、神は神なんだから、過去そのものすら改変できるのかもしれない。

しかし。。。まさかねー。。。過去が変わるなんて、そんなことがあるだろうか。。。

なーんてことを考えていたら、このところ立て続けに「マンデラ・エフェクト」っぽい経験をさせられた。いわゆる過去改変事案っていうやつだね。

ひとつ目は、ある用事があって、相手先の事務所を訪ねたんだけど。。。

午前中に訪れたときは、事務所は5階にあったんだよね。。。

ところが、夕方にまた訪ねてみると、4階に移っていた(汗)

これはねー。。。過去が変わったというよりは、自分の脳の老化による障害なのかもしれないれど(笑)

それらからね。。。

ある会合に出席して、ゲスト用の名札を渡されたんだけど、名前が空欄になってたから、あー、これ、あとで書かなきゃな、と思ってホールドしてた。。。

で、さあ、書こうと思って名札を見ると、なんと、自分の名前が大きな字で印刷してあった(汗)

いやー。。。これはどう考えても、過去が変わったとしか思えない。でなきゃ、けっこう深刻な認知症だと思うんだけど(苦笑)

しかし、まあ、こういう不思議な経験をすると、自分の認識とか記憶とか、あるいは、世界の構造や成り立ちさえも、けっこうユルイものなのかもしれないなー、って感じさせられた。

これは絶対間違いない!って思っているのは、単なる自分の思い込みに過ぎなくって、その一方で自分も世界も過去すらも、どんどん変わって行っているのかもしれない。

だとしたら、その変化に対して自分が心を開いて、それを新しい事実として受け入れれば済むだけの話なのかもしれないねー。

なので、こうだったはず、っていう思い込みをレッティンゴーして、新しい自分、新しい世界、新しい過去をゲットしようと思う。

なにせ、イエスにおける「神」は十字架にかかり復活することによって、自分も世界も過去も、ぜーんぶ書き換えてくれたというわけだから。

だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
コリントの信徒への手紙二 5:17 新共同訳

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