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鋭さ ✕ やさしさ = ???

世の中には、いろんなキャラクターのひとがいるけど。。。

「鋭さ」と「やさしさ」を併せ持つひとって、あんまり、見かけないよね。。。

まあ、広い世界を探せば、いるのかもしれないけど。

鋭いひとは、細かく、厳しく、きっちりしていて、直言し、ぶれない、そして、決して手をゆるめない。。。というイメージ。

やさしいひとは、緩やかで、穏やかで、遊びがあって、オブラートにつつつまれ、柳のようにしなやか。。。というイメージ。

なんとか「鋭さ」と「やさしさ」を混合したキャラクターになれる方法はないものだろうか。

今日の聖書の言葉。

わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、 本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、 イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。
フィリピの信徒への手紙 1:9-10 新共同訳

ここでパウロが祈っているのは、あなたに「識別力」が増し加えられるように、ということだ。

ふつう、識別力が増せば増すほど、ひとあたりは厳しくなる。。。だって、自分から見て他人の欠点や問題点が、どんどん見えるようになるわけだから。。。

でも、パウロは、さらに祈るのだ。「愛」が増し加えられるように、って。

そうすることで、パウロは、物事の順序を示しているんだ。

つまり、「識別力」が与えられているのは、「愛」を実現するため、ということ。

知る力と見抜く力とを身に着けて

あなたがたの愛がますます豊かになり

本当に重要なことを見分けられるように

「識別力」を持つひとが、相手の欠点や誤りを見抜いて、全力で暴き出し、みんなでフルボッコして社会的な抹殺に追い込み、その結果、びくびくし、ギスギスし、殺伐とし、今日も誰かが自滅して行ったなあ、という世界。。。それをA世界と仮に呼ぼう。

「識別力」を持つひとが、相手の欠点や誤りを見抜くんだけど、やさしく指摘し、一緒に目標を立て、励まし合いながら進んで行き、その結果、「義の実」(イエスに似た理想のキャラクター)にみんながあずかる、という世界。。。それをB世界と仮に呼ぼう。

こっから先は自分の想像なんだけど。。。

たぶん、A世界という透明なレイヤーと、B世界という透明なレイヤーが、2枚重ねられて成立しているC世界というのが、いま、われわれが住んでいる現世界なのではないか、と思う。

で、やがて「キリストの日」が来る。

キリストの日に備えて
清い者、とがめられるところのない者となり

「キリストの日」が来ると、イエス・キリストが降りて来て、C世界を両手でエイやっ、とつかみ、A世界とB世界にピリーっと引きはがすんだ。

そのとき、自分の属性がA世界寄りなら、A世界に引っ張られて行き、自分の属性がB世界寄りなら、B世界に引っ張られて行き。。。

そのようにして、自分という人間の本性が、果たしてほんとのところ、どうなのかが、誰の目にも明らかになるんだと思う。

この宇宙でいちばん鋭い「識別力」を持つイエスが、いまこの瞬間、自分を黙ってじーっと見ているのを、感じる。。。

イエスがすぐに降りて来て、手をかけ、自分の内なるAとBを引きはがそうとしないのは。。。やっぱり、イエスがこの宇宙でいちばん「やさしい」からなんじゃないか。

鋭さ ✕ やさしさ = イエス

その「やさしさ」に甘んじて、オレは今日も生きる。

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