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今日の自分の一歩が、未来のどこかに伝わっていくはず。

アメリカ国防総省の「UFO報告書」が提出されて、人類はこれからどんな未来を迎えるんだろう。。。

なんてふうに、想像をたくましくしていたここ数日だったんだけど。。。

やがて、なぜか、自分の思いは、過去へと向かい始めていて。。。

それは、自分のご先祖さまが、どういうジャーニー(旅)を歩んできたのかなあ、という、とめどもない想像だ。

想像が向かう方向としては、未来へのベクトルと真逆なわけだけど。。。

でも、ご先祖さま当人が生きてた時点においては、見えない未来へ向かうベクトルを進んでたんだよなあ、と思う。

自分の想像は、おじいちゃん・おばあちゃん、さらに、ひいおじいちゃん・ひいおばあちゃん、ここからさらに、ひいひい。。。へと進んでいく。。。

ひいひい。。。になると、もうね、具体的な情報が尽きて来る。

まあ、旦那寺の過去帳とか郷社の縁起覚書を閲覧すればいいんだろうけどさ。。。

わからない過去の空白は、想像力で補う。

で、そうやって想像していくと、室町時代ぐらいまで、なんとかイメージできる。

けど、奈良・飛鳥・古墳・弥生・縄文まで行くと、漠然としてくるよねー。

さらにその前までいくと。。。大陸から海を渡って来たモメントが絶対あったはず。

そのとき、どんな船に乗って、どんな格好で、どんな思いで、たどりついたんだろう、って思っちゃう。

さらにさかのぼると、シベリアの凍土地帯を通過するか、中央アジアのゴビ砂漠を渡るか、インドから雲南を抜けるかして、日本行きの渡海地点まで来たわけであって。。。

見えない未来へ向かうジャーニーを、ご先祖さまたちは、いったいどうやって進み続けることができたのか。。。

死にそうになって、立ち止まって、あきらめかけて、このまま引き返そう、って思った時が、きっと、何万回もあったはずで。。。

でも、そのジャーニーをご先祖さまは、あきらめないで進み続けた。

そのジャーニーの果てに、いまこうして、自分がいる。

今日の聖書の言葉。

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。
使徒言行録 1:8 新共同訳

イエス・キリストの教会のジャーニーの場合は、幸い、多数の歴史資料に恵まれている。おかげで、想像がグーっとしやすい。

特に、教会史家のエウセビオス(263-339)は、イエスと使徒たちの直後の時代について、情報を書き残してくれている。

「使徒教父」の時代と呼ばれるそれは、新約聖書が成立した時代だったんだよね。使徒教父のなかで代表的な人物に、パピアスがいる。

フリュギア(トルコの中西部)のヒエラポリスで司教をつとめたパピアス(60頃-130頃)は、なんと、使徒ヨハネから直接教えを受けた人物だ。

そのパピアスは、マルコによる福音書の成立について、こう述べている。

長老(使徒ヨハネ)は次のように言っていました。マルコはペトロの通訳としての立場で、主イエスが言われたことや行われたことについて、記憶から思い出したものと同じくらい正確に書き留めました。マルコは主イエスの言うことを聞いたり同行したりしなかったのですが、後で私が言ったように、かつて「クレイアイ」(古典古代の文学形式のひとつである逸話集)の形で教えを与えていたペテロは、主イエスの「ロギア」(時系列に沿って叙述された言行録)の秩序ある配置を提供するつもりはありませんでした。その結果、マルコは、記憶からそれらを関連付けたのと同じように、いくつかの個々の項目を書き留めたとき、何も悪いことをしませんでした。彼は聞いたことを省略したり、何かを改ざんしたりしないことを彼の唯一の関心事にしたからです。

フィリップ・シャフ編『ニケア公会議・後ニケア公会議時代の教父著作集』所収・エウセビオス『教会史』第3巻39章14-15節

パピアスに直接薫陶をあたえた長老ヨハネというのは、イエスの最年少の弟子であり、ヨハネによる福音書、ヨハネの手紙1~3、黙示録を書いた、あの使徒ヨハネだ!(諸説あります)。

ヨハネは、最後の晩餐でイエスの隣りに座り、イエスの胸にもたれかかって食事していたという。。。

そのイエスの胸のうちにあった思いは、十字架と復活による福音が、グレート・ジャーニーを経て「世界の果て」まで伝えられることだった。

イエスの思い。。。それを弟子のひとりであるヨハネが受け取り。。。ヨハネからパピアスへ。。。パピアスからポリュカルポスへ。。。ポリュカルポスからエイレナイオスとテルトゥリアヌスへ。。。テルトゥリアヌスはラテン語で神学して「三位一体」という用語を初めて使った。

そのテルトゥリアヌスは、こう述べている。

神の子が死んだということ、これはそのまま信ずるに値する。何故ならそれは不条理だからだ。そして、墓に葬られ、彼は復活した。この事実は確かだ。何故なら、それは不可能だからだ。
テルトゥリアヌス『キリストの肉について』

不条理なるがゆえに、われ信ず。不可能なるがゆえに、われ信ず。。。

これって、いまオレが持ってる信仰と、完全に同じじゃん。。。

2000年の時を経て、イエスの胸のなかの思いが、確実に、自分まで来ている。ここに至るまで連綿とバトンを伝え続けてくれた信仰者たちのグレート・ジャーニーを思うと、胸が熱くなるねー。

自分は、この受け取ったバトンを、未来へのベクトルに沿って運んでいく。一歩ずつ、一歩ずつ。

その見えない先にあるのは、なんだろう。それはやがて、外惑星伝道協会の3000年の働きを経て、シリウス星人にまで届くのだろうか。

それは、わからないけれど。。。でも、自分の一歩が、未来のどこかに伝わっていくはずなのだ。

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