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絶対的不確実性の時代において、全情報を独占的かつ集中的に処理することは可能か、というお話です。

与党の総裁選をめぐる連日の報道を見ていると、ほんと、政治的指導者になる、って、大変なことだなあ、と思う。

いま世界は、ガルブレイスが言った不確実性の時代を凌駕する、絶対的不確実性の時代に突入しているわけで。。。

それは、これを、こうしたら、こうなるはず、という予測的考えに基づく立案や計画が、全然予測通りに行かない時代になっていることを意味する。

でも、まあ、考えてみたら、人間が作ったアイデアが上手く行かないのって、ずーっとむかしからそうなのかもしれない。。。

だって、パルタイがやった前世紀の計画経済なんか、ちっとも上手く行かなくて、数千万人の餓死者を出してしまったぐらいだし。。。

危機の時代には、大きな権力をひとりに集中させて、ひとりの決断で政策をスピーディーに行うのが一番よい、と思われがちだけど。。。

でも、権力を集中させるって、情報の独占と集中、ってことなんだよね。

権力が集中すればするほど、独占、つまり、衆人の目から隠さなきゃいけない情報が増えて行く。

しかも、それらの情報すべてを「ひとりの人間」が処理しなきゃいけない。

情報量の増大とは、熱量の増大を意味するんだけど、人間の脳は、脳に投入可能なカロリー以上には回らないからねー。

だから、ある時点で、ひとりの人間が処理できる情報量を超過してしまう。

そうなったら、オワリだ。。。

今日の聖書の言葉。

主は地上をすべて治める王となられる。 その日には、主は唯一の主となられ その御名は唯一の御名となる。
ゼカリヤ書 14:9 新共同訳

聖書は、「すべてを治める王」について、さらっ、と書いているけれど。。。

世界全体の情報量と、その情報ぜんぶを処理するのに必要な熱量を、ちゃーんと計算して、それでもまだ、同じこと言えんの? と思ってしまう。

でも、大前提として聖書が言ってるのは、「それやるの、神ですから」ってことなんだよね。。。

この大前提をまじめに考慮に入れるか・入れないか、で、アウトプットが違ってきちゃう。

だってさ。。。「神」だもん。。。

神は永遠で無限で全知で全能で遍在で。。。つまり、神は宇宙が提供可能な熱量の限界をつねに超越しており、だから、神の情報処理能力には限界が無い、ということになる。

理論的には、そう言えることになるんだけど。。。

問題は、その先だ。

ほんとうに「神」は、全宇宙の全情報を独占し集中して処理しているんだろうか?

いま・もう・すでに・やっている?

で、そのようにして処理された結果が、いま・ここ、という、自分にとってのリアリティーに、なっているんだろうか?

この自分という存在を、情報として「処理」している神は、いったい、どんな顔をした神なんだろう?

新約聖書は、イエス・キリストこそ、その神であり、神の顔だ、ってことを言ってるんだと思う。

そして。。。

ここが重要だと思うんだけど。。。

新約聖書には、神によって、この自分が、情報としてどのように処理されたか、ってことが、ちゃーんと書いてある。

たとえば、これ。

次の言葉は真実です。 「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、 キリストと共に生きるようになる。」
テモテへの手紙二 2:11 新共同訳

そして、これも。

あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。
コロサイの信徒への手紙 3:3 新共同訳

きわめつけが、これ。

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。
ガラテヤの信徒への手紙 2:20 新共同訳

神が情報をそのように処理したのなら、それがそのままリアリティーになるはずだよね。。。だって、神は神なんだから。。。

しかし、民主的な国の指導者の多くがそうであるように、神もまた、基本、本人の同意を得たうえでコトを行おうとしているように見える。

そうであるならば、最後の問題は、われわれが、その神に信任票を投じるかどうか、っていうことになるのかもしれない。

神への信任票。。。

それは、まあ、単純に、アーメンって言う、ってことになるんだろうなあ、とは思うんだけど。。。

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