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ノマド ✕ ポータブル ✕ 神殿 = ?

このコロナ禍で密集して働くことが感染リスクであることが認識された。オフィスの需要はワクチンが普及したら戻って来るかもしれない。ただ、ワクチン接種が先行しているはずのヨーロッパで変異種が流行し始めていて、このイースター(復活祭)に向けてロックダウンを強化する国も出てきた。こうなると、なかなか先行きは読めない。

※ メルケル首相は24日、イースターのロックダウンの撤回を発表。

どこにでも空気のようにWiFiがゆきわたっているなら、ノートパソコンひとつ携えて在宅でもサブスクリプション型「日本全国どこでも住み放題」でも仕事ができてしまうわけで、これから一か所に定住しないノマドワークと呼ばれるライフスタイルを選択するひとが増えるかもしれないね。

ノマドワーカーは、ノートパソコン、スマートフォン、タブレット端末などを使い、Wi-Fi環境のある喫茶店など、通常のオフィス以外のさまざまな場所で仕事をする人を指す日本語の表現。また、そのような働き方を、ノマドワークという」(Wikipedia)

たしかに冬は沖縄、夏は北海道、春は伊豆、秋は京都なんて想像しただけでもワクワクしちゃう。

今日の聖書の言葉。

ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。 命のある限り、主の家に宿り 主を仰ぎ望んで喜びを得 その宮で朝を迎えることを。
詩編 27:4 新共同訳

イスラエル・ユダヤの人々にとって精神生活の中心はエルサレムの神殿にあった。ダビデ王が資材を準備し、ソロモン王がヒラムとフラムの助けを得て建てた壮麗な神の家。そこに行けば神に会うことができた。だから、祭のために神殿にもうでることは人生最高のビッグイベントだった。何物にも比べ難い、その喜び、その感動、その興奮。。。だから、人々があこがれる「永遠の命」は、神殿に永遠に住むというメタファーで表現されるようになった。今日の詩編はまさしくそれだ。

神殿に直結した神の臨在。そこ以外では得がたい、だからこその、尊さ。

ところが、歴史の中で神殿は繰り返し破壊されてしまう。紀元前586年にバビロン捕囚に際して破壊され、再建された神殿は紀元70年のユダヤ戦争に際して破壊され、その跡は廃墟になったまま2000年近くが経過している。こうして、神殿に永遠に住むというメタファーは、地上を離れて空中を浮遊することになった。

空中を浮遊する神殿は「新しいエルサレム」と名前を付けられ、それが天から降下して来る壮大なビジョンがヨハネの黙示録21章に描かれている。

その一方、新約聖書はイエス・キリストこそが本当の神殿だ、という主張も展開している。ヨハネによる福音書 2:21 がそれだ。

イエスの言われる神殿とは
御自分の体のことだったのである

神の臨在のことを後期ユダヤ教ではシェキナーと呼んだけれど、その神の臨在が身体をとって地上に降り立ったのがイエスだ、という理解をするなら、イエスの身体こそ「神の臨在」をおさめた神殿だ、ということになる。そのイエスの身体は十字架につけられ、死んで、墓に葬られ、三日目に復活することによって、けっして朽ちない「永遠の神殿」になった。。。そう観ることもできるだろう。

新約聖書の主張はそこだけに止まらない。十字架と復活の出来事により人類の罪が贖われた結果、神の霊である聖霊が全人類に注がれた。後期ユダヤ教では聖霊もシェキナー・神の臨在であるとみなした。だから、いまや神の臨在はイスラエルだけでなく、ユダヤだけでなく、エルサレムだけでなく、神殿だけでなく、全人類のうちに宿っている、ということになる。その意味するところは、人類が神の臨在を宿す神殿になった、ということだ。そのことを新約聖書はコリントの信徒への手紙一 6:19 でこう宣言している。

知らないのですか
あなたがたの体は
神からいただいた
聖霊が宿ってくださる神殿であり
あなたがたはもはや
自分自身のものではないのです

イエスに結ばれたひとりひとりのうちに聖霊が住んでいる。だから、ひとりひとりは神の臨在を持ち運ぶポータブル(移動可能)な神殿ということになる。そのひとのいる場所が家であろうとオフィスであろうと田舎であろうと世界の果ての砂漠であろうと、そのひとの身体そのものが神殿であり、そのひとの内に聖霊が宿り、そのひとが行くところどこでも神の臨在が伴う。

こうして「命のある限り主の家に宿る」という詩編の作者の願望は、ふしぎなことにノマド的な方式で完全に実現していることになるのだ。


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