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日々是回心(ひび、これ、かいしん)

YOUというタレントさんが「自分の年代って、心のなかで、すぐ『死ね』とか思っちゃうんですよね」って言ってて、ダメでしょー、それ。。。でも、当ってるし(汗)。。。と、同年代の人間として、深く反省した。。。

今日の聖書の言葉

兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい
ローマの信徒への手紙 12:10 新共同訳

きのうの note で、自己と他者、のつながりに、父なる神・子なる神・聖霊なる神の関係性が反映される、という東方正教会の神学者の考え方を紹介したんだけれど。。。

この「三位一体」の関係性を、現実の人間関係に、どうやって発現させて行くか、ってことになると、感情のレベルにおいて「死ね」とか思ってたら、イケナイわけであって。

尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい

心からの敬意をもって相手に接する。。。もし、それが、単に外形だけ、言葉遣いだけ、の次元だったら、「慇懃無礼」(いんぎんぶれい)という、イヤミを感じさせるものになっちゃうだろう。

でも、ほんとうに、心の底から敬意をもって接することができたら。。。それは、相手にも伝わるし、自分でも嘘偽りが無いって、わかるよね。

心の底から敬意を払う感覚。。。英語で言うと BLESS YOU という表現になるんだろうか。。。わたしは、あなたという存在を、ありのままで、祝福しますよ、という気持ち。

父なる神が、子なる神であるイエスに対して、言葉かけしている場面が福音書にあるんだけど、それはまさに BLESS YOU だ。。。こういう言葉 *¹。

あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者

父なる神が、子なる神に対し、いつも抱いている、この気持ち。

この気持ちは、愛であり、それが聖霊なる神であるわけなんだけど。。。

「心に適う」というところは、新約聖書の原語で「ユードケオー」(εὐδοκέω) という単語が使われていて、その意味は、というと。。。

 ● 相手に満足する
 
相手のことを喜ぶ
 
相手のことを良く思う
 
相手のことを認める
 
相手と心が通じる

自分と他者のかかわりが「三位一体」の神の永遠の関係性を反映しているかどうか、それを判断する基準になるのは、「わたしは、ありのままのあなたに、満足します・喜びます・良く思います・認めます・心が通じます」ということなのだ。

これは、超絶級に難しい実践上の課題だ。。。正直に言うと、自分的には、この課題を実行しようとして、100戦100敗みたいな状況。。。だけど、この課題に取り組むために、今日の生活が与えられているんだと思う。

だって、いつまでたっても「死ね」で完結してたら、それって、地獄じゃん。

自分の内なる地獄に向き合いつつ、それでも、希望をもって取り組むことができるのは、次の聖書の言葉が約束されているからだ。もし、これがなかったらね、ほんと、絶望しかない *²。

キリスト・イエスに結ばれている者は
罪に定められることはありません

註)
*1.  Cf. マルコ 1:11
*2.  Cf. ローマ 8:1

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