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愛は愛を超越し続ける

愛にもいろいろあるけれど。。。

クリスチャン界隈では、愛には四つの種類がある、とよく言う。

まず、エロース。。。これは恋愛。
つぎに、ストルゲー。。。親子の愛。
そして、フィリア。。。友愛。
最後に、アガペー。。。神の愛だ。

でも、四つの愛のなかには、サブカテゴリーもあったりする。

たとえば、中世の騎士道に見られたプラトニックラブ。これは、騎士と貴婦人の間にかわされた、精神的な次元に昇華されたエロース(恋愛)だ。

それと、やはり中世で盛んだった聖母崇敬。神の母マリアに信者が思いをささげるわけだけど、これは、精神的な次元に昇華されたストルゲー(親子の愛)だと思う。

なお、ストルゲーを水平方向に拡張したのが郷土愛とか祖国愛なのかも。

さらに、中世で信心された聖人崇敬。天国にいる聖人が、地上にいる信者に対し、天国を目指して歩む生活をメンターリングするシステムなんだけど、これなんか、精神的な次元に昇華されたフィリア(友愛)じゃないかな。

で、アガペー(神の愛)は、それらすべての愛の源流で、それらすべてを包含しながら、それらすべてを超越していく愛だ。

その超越ぶりを、聖書は、こう表現している *¹。

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」
という言葉は真実であり
そのまま受け入れるに値します
わたしは、その罪人の中で最たる者です

「罪人である」というのは、神の側で設定した条件にぜんぜん合致しない、ということ。だから「罪人の中で最たる者」とは、神の条件になにひとつ合致するところが無い、絶望的にダメな者という意味になる。仏教的に言えば「断善根のイッチャンティカ」というところか。

そういう「罪人の中の最たる者」を愛して救おうとするのがアガペー(神の愛)だから、言い換えればそれは、無条件の愛、条件を問わない愛、「~にもかかわらず」の愛、完全な愛、究極の愛、絶対あきらめない愛、ということになる。

そして、完全な愛であるアガペーは、イエス・キリストの十字架と復活という出来事となって歴史の中に出現した。。。そう新約聖書はとらえている。

このアガペーでもって、すべての愛が完成されて終わりかな、と思ったら、実は、まだまだ、あるんだよね、愛が。。。

今日の聖書の言葉。

慈善は完全な道を歩む人を守り 神に逆らうことは罪ある者を滅ぼす。
箴言 13:6 新共同訳

それが、カリタス。。。慈善の愛だ。

カリタス(慈善の愛)には、構造がある。

どういう構造かというと
①無条件の愛であるアガペー(神の愛)を受けた罪人が
②神の愛で心を満たされた結果
③神の愛に動かされ
④隣人を愛するようになる

というムーブメントになっているのだ。

それは、神の愛を動力として自己を抜け出て隣人に向かって行くわけだから、隣人愛と言い換えてもいいかもしれない。

で、イエスの定義によれば「敵も隣人だ」ということになる *²。

すると、カリタスが愛する対象には、敵も含まれることになってくるんだ。

ここから、カリタスは、さまざまな立場の違い・差別・争いを超えた、博愛人類愛へと広がっていく。

そしてこの先、宇宙の時代になっていくと、人類愛すら超えていく愛が出現するかもしれないね! 宇宙愛

あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
エフェソの信徒への手紙 3:18-19 新共同訳

註)
*1.  Cf. テモテ一 1:15
*2.  Cf. マタイ 5:44

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