宇宙空間で使えるボールペンのように、いつまでも、いつまでも、インクがなくならない、っていう話です。
いま自分の手もとにスペースボールペンの「マーズ」バージョンがある。
スペースボールペンというのは、アメリカのフィッシャー社がアポロ宇宙船の乗組員のために特別開発した、無重力状態でも書けるボールペンだ。
地球上では、ボールペンのインクは重力で下にひっぱられることで、ボールにインクがしみ出してきて、文字が書ける仕組みになっている。
ところが、それだと無重力状態の宇宙空間ではインクが出ない。ボールペンがぜんぜん書けなくなってしまうのだ。
なので、NASAとフィッシャー社は巨額の費用をかけてスペースボールペンの開発に成功し、それはアポロ宇宙船に乗って月にも行ったんだ。
で、火星に行く宇宙船のために用意されたのが「マーズ」バージョン。
片道2年と言われる火星への長旅は、一度行ったらなかなか戻って来られない。っていうか、行ったっきり二度と地球に帰れない可能性が高い。
なもんで、ボールペンのインクが切れたら、どうしようもないよね。インクを買いに地球に行くなんてできないわけだから。。。
そこで「マーズ」バージョンは太い軸のなかに大量のインクを保持することにより、なんと一生使ってもインクが切れないという仕様になっている。
万一、ユーザーが生きているあいだにインクが切れるようなことがあったら、フィッシャー社は無料で新品に替えてくれることになっているんだ。
ボールペンを月に持って行くのも、火星に持って行くのも、大変なことだなあ、と思うんだけど、そんなアメリカ人の努力に対して、ロシアの宇宙飛行士はどうしたかっていうと。。。
宇宙に鉛筆を持って行ったんだって(笑)
今日の聖書の言葉。
聖書を読んでいると「神」は人間に永遠の命を与えてくれる、っていうことが繰り返し繰り返し約束されている。
生きているって、しんどいなー、って感じることも時々あるわけなんだけど、そんなことを考えると、ほんとうに自分は永遠に生きることができるんだろうか? いや、そもそも、自分は永遠に生きたいんだろうか? ってことを思ってしまう。
でもね。。。
もしかして、もしかしたら、自分が永遠に生きる、っていうのは、自分の都合でもなく、自分の願望でもなく、自分の欲望でもなくって、むしろ「神」の都合なのかもしれない
フィッシャーのスペースボールペン「マーズ」バージョンを見ながら、そんなことを思ったんだ。
「神」には神の目的があって神の手元にずーっと自分を置いて、永遠に使い続けたいということなのかもしれない。
神にとっては、途中でインクが切れてしまっては困るんだ。
だから、永遠にインクが切れないように、じゃなかった、永遠に命が尽きることがないように、イエスによって永遠の命を自分に提供してくれているんじゃないだろうか。
わたしたちは神に造られたものであり
しかも、神が前もって準備してくださった
善い業のために
キリスト・イエスにおいて
造られたからです
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