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パンにもいろいろあるけれど。。。

「イエスさま、どうやって祈ったらいいんですか?」という弟子たちの求めに答え、イエスが教えてくれた、主の祈り。福音書に収められている *¹。

そのなかに、きょうの食物をあたえてください、という言葉があるんだ。

今日の聖書の言葉。

わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
マタイによる福音書 6:11 新共同訳

ここには、じつは、謎の言葉が使われている。

下記の太字の言葉「エピウーシオス」が、それ。下記では対格をとってエピウーシオンになっている。

τὸν ἄρτον ἡμῶν τὸν ἐπιούσιον δὸς ἡμῖν σήμερον

エピウーシオスは、聖書のこの箇所以外のどの文献にも使用例が見つからない、謎のギリシャ語なんだ。

エピウーシオスはアルトン(パン)にかかっているから、直訳すると、わたしたちに、きょう「エピウーシオスなパン」をください、という文になる。

エピウーシオスなパン?

どうも、エピ(~を超えた)+ ウーシア(本質)からなる造語なんじゃないか、と言われているんだけど、本質を超越した、って、どういう意味よ? ということで、どう訳したらいいのか、昔から議論されて来た。

そして、いまなお、これといった解決がない。聖書学者のなかには、訳すことを拒否するひともいるぐらい。

それじゃ、しょうがないので、各国語の聖書の多くは、エピウーシオスなパンを「日ごとのパン」と訳している。

でも、エピウーシオスなパンを訳せる可能性としては、次のようなものがあるんだ *²。

わたしたちに、きょうも「超自然的なパン」をください。

わたしたちに、きょうも「生きるのに必要なパン」をください。

わたしたちに、きょうも「新しい時代のパン」をください。

わたしたちに、きょうも「尽きることのないパン」をください。

わたしたちに、きょうも「永遠のパン」をください。

自分的には、上記の訳せる可能性のどれかひとつ、ではなくって、全部を込めた意味での「エピウーシオスなパン」をください! と思ってしまう。

神さま。きょうを生きるのに必要なパン、たべても、たべても、けっして尽きることのないパン、新しい時代を生きるためのパン、永遠のいのちをあたえるパン、超自然的なパンを、いつも、わたしに、ください!

じゃあ、そんなパンが、どこにあるのよ、ってことになるけど、イエス自身が、そのパンなんだと思う。イエスが、こう言ってるからだ。

イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」
ヨハネによる福音書 6:35 新共同訳

なので、自分は、こう祈る。。。

いのちのパンであるイエスさまを
いつもわたしにください!

註)
*1.  主の祈り。カトリックと聖公会の共通訳では、こうなっている。

天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
アーメン

*2.  ウィキペディア(英語版)「エピウーシオス」

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