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餓鬼道に堕ちないための祈り

大人の平均のお小遣い額って、36,747円なんだって。

自分の場合、その三分の一だ。

なのでねー、ほんと、あっというまに消えて行く。

いや、べつに、なにを買っている、ということもないんだけれど、消えて行く。家人の誕生日が三連コンボで来るシーズンとかは、つねに財布が空の状態。。。

今日の聖書の言葉。

金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。
ヘブライ人への手紙 13:5 新共同訳

お金って、どれぐらいあったら、満足できるんだろうね。

そもそも、なんで、お金って、欲しくなるんだろう? 

マテリアルとしてのお金ということだったら、アルミニウム、黄銅、青銅、白銅、ニッケル、マニラ麻の和紙だけどさ。。。べつに、そういうマテリアルが欲しいわけではない。

やっぱり、お金で何かを買うことで、ゆたかな命を経験したいから?

コーヒーを一杯のんで、落ち着こう、とか。。。ハンバーガーを食べて、腹ごしらえをしよう、とか。。。誕生日ケーキを買って、家人を喜ばせよう、とか。。。今晩の夕食は餃子にしようね、とか。。。

じゃあ、だからといって、コーヒー100杯、ハンバーガー1000個、ホールケーキ1万個、餃子10万個を目の前に出されて、ゆたかな命を経験できるかというと、命どころではない、うえーっ、げーっ、って、なっちゃう。

適度で、適当なところで、満足できる程度で。。。それが、たいせつなんじゃないかなあ、と思う。

あれも欲しい、これも欲しい、って思ってると、不満だらけだけれど、じゃあ、ぜんぶ手に入れたら満足できるんですか? というと、どうなんだろうね。。。

「こんなはずじゃなかった」「ちっとも面白くない」「思ったよりもつまらない」「飽きた」「もういらない」ということに、なりかねないんじゃない?

というわけで、満足のゲージが、どのへんにあるのか、自分を冷静に見つめよう。

二杯目のコーヒーは要らないはずだし、ビッグマックは月に一回食べれば満足だし、ホールケーキは4号で余りは出ないはずだし、餃子はひとり15個たべれば十分すぎるでしょ。

そして、からっぽの財布を見つめるときは、神の言葉を読んで、その神に、静かに祈る。

わたしは、決してあなたから離れず、
決してあなたを置き去りにはしない。

どうか、わたしの欲望が、神にとって代わることがありませんように。

どうか、お金が、神になり代わることがありませんように。

どうか、どこまでもただ神だけを神として、神による供給を信じて、待つことができますように。

余白)
*  なお、自分は塵芥居士のコミックエッセイ『丁寧な暮らしをする餓鬼』を愛読している。

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