自意識過剰だった自分にタイムマシンでビン入りの手紙を送るとしたら。。。
自意識過剰だった頃。。。当然、関心は「自分とは何か?」ということばっかり、向かうわけで。。。
だから、自己の内なる「深淵」を覗き込むことに。。。
顕在意識、潜在意識、集合的無意識、マナ識、アーラヤ識、メンタル体、コーザル体、エーテル体、アストラル体。。。
その「深淵」は、どんなに覗き込んでも何も見えない、底なし沼だ。
こんな探求してたら、ほんと、きちんとした「導師」につかないかぎり、病んでしまうと思うよ。ってか、実際、病みかけてたし。。。
いったい、自己の「深淵」を把握するなんて、できるんだろうか?
今日の聖書の言葉。
神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。
ヘブライ人への手紙 4:12 新共同訳
人跡未踏の地は無い、と言われる地球だけど、じつは海底の90%以上は、どうなってるか、わからないらしい。
そして、思うんだ。人体についても、精神についても、その仕組みや構造は、まだまだ、わからないことが多くって、特に人間の心なんて、海底より遥かに広い未知の世界が広がっているんじゃないか。。。
ところが、その未知の世界を、ぜーんぶ残らず、きっちり把握している存在が、ひとりだけ、いるんだ。
それが、神だ。神は「無限の参照点」だから、神がつくったすべてのものを、完全にその掌中に収めている。
神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。
ヘブライ人への手紙 4:13 新共同訳
自分は、自分の「深淵」が、どうなっているのかを、知らない。
でも、神は、知っている。神は、創造主だから。
その神が、自分のすべてを掌握していてくれる。
その事実を心にとめる時、ある意味、あきらめが、つくんだ。
いいや! 自分のことが、わからなくても、良しとしよう。神が、自分のすべてを把握していてくれるなら、それで、いいじゃないか! ということ。
そして、それだけじゃない。
わたしたちには、もろもろの天を通過された偉大な大祭司、神の子イエスが与えられているのですから、わたしたちの公に言い表している信仰をしっかり保とうではありませんか。 この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
ヘブライ人への手紙 4:14-15 新共同訳
神のひとり子であるイエスは、わたしたちと同じ、身体を持つ一個の人間となってくれた(クリスマス)。イエスは、人間の限界・悲哀・苦痛をすべて共有してくれた(十字架)。イエスは復活して、いまも人間として在るし、これからも永遠に人間で在り続ける(イースター)。そうすることで、永遠にわたしたちと一緒にいてくれるんだ(聖霊)。
それが意味することは、イエスが人類の代表として、父なる神のすぐそばに立ち、ほかでもない、この自分のために「とりなし」をしてくれる、ということ。
だから自分は、もう自分を見ることをやめて、ただイエスを見上げて、イエスの名を呼べば良いのだ。「イエスさま!」って。
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
ヘブライ人への手紙 4:16 新共同訳
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