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みんなをひとつにするチカラか、弱さか。。。
人間を、まとめて、ひとつにする、チカラ。
いろんなチカラがあると思うけど。。。
でも、しょせん、チカラ、だからね。。。
チカラである以上、対になる像として、弱さが想定されるわけで。。。
みんな、やる気になってるのに、いまいちノリが悪い、とか。。。
いちばん団結しなきゃいけない時に、ひとり反対したり、逃げちゃったり、とか。。。
人を束ねるチカラの背後で、弾かれる、落とされる、排除されるひとが、出てきてしまう。。。
今日の聖書の言葉。
わたしと共に主をたたえよ。 ひとつになって御名をあがめよう。
詩編 34:4 新共同訳
神様のまえで、みんな「ひとつ」になって、賛美できたら、いいのに。
でも、どうしたら、ひとつになれるんだろう?
すべてのひとを、もれなく束ねるチカラ。。。そういうチカラは、おそらく、無いのではないか。。。
なので、むしろ、弱さによって束ねることを、神さまはお考えになったんではないか。。。
弱さを「旗印」としてかかげること。
主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
コリントの信徒への手紙二 12:9-10 新共同訳
弱さの極致としての十字架。その十字架を「旗印」として掲げること。。。
上の言葉を書いたパウロは、なんと、自分のことを「わたしは罪人のかしらです」と言ってる。
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。
テモテへの手紙一 1:15 新共同訳
自分はサイテーの存在。だけど、神の恵みによって生かされている。。。
この恵みは、弱さと不可分一体だ。だって、弱さがなければ、恵みはないんだもの。
そして、そこから、あたらしい世界がスタートするんだと思う。
それは、みんなが「もう終わりだ」と思った地点から、いつも・つねに・なんどでも、あたらしく始まる世界だ。
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