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闇から光へ大転換するカタルシス。それを、今年は。。。

中世初期のクリスマスは、すぐる一年に犯した罪をあらいざらい悔い改めるために、あかりをぜんぶ消して黒一色に仕立てた教会のなかでアドベント(待降節)を守ったんだって。

そして、クリスマスの日を迎えると、ありとあらゆる光をともし、白一色に仕立て変えるという。。。

まっくらやみから燦然たる光の世界への大転換。

きっと、すごいカタルシス(罪の浄化)を体感できたんじゃないかなあ、と想像する。

今日の聖書の言葉。

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」
ヨハネによる福音書 8:12 新共同訳

アドベントの過ごし方については、中世初期から近代にいたるまでにヨーロッパのいろんな古俗が入り込んで、だんだんいまみたいなきらびやかなシーズンに変化した。

きらきらのアドベントについて、教会当局は最初「悔い改めにふさわしくない」「やめろ」とお達しを出してたらしい。だけど、ヨーロッパのひとたちは粘り強く「言うことをきかなかった」ので、教会も「しょうがないね」と黙認を重ねて今に至ってるみたい。

まあ、たしかに、ただでさえ日が短くなって世界全体が真っ暗になっていくのに、教会まで黒一色だったら気が滅入って仕方ないよね。。。

でも、真っ暗闇のなかで罪を悔い改めて、イエスが降誕した瞬間、光の世界に大転換するという昔のクリスマスの守り方は、いまなお「キャンドルサービス」のやり方のなかにイメージの記憶として残っているんじゃないかと思う。

たいがいの教会が12月24日のクリスマスイブに行う「キャンドルサービス」では、すべてのあかりが消され、教会のなかを真っ暗にする。

そこに、ロウソクを持った天使(というか天使の衣装を着たひと)が入場する。真っ暗闇をすすんでいく、小さな光。。。

その小さな光のもとで、旧約聖書の創世記からアダムとエバの堕罪のくだりが朗読される 。。。すぐる一年に自分がやらかした、あれやこれやの失敗の根本の原因である人類の堕罪の出来事を想い起こさせられるわけだ。。。その上で、救い主到来の約束(女の子孫から出た者がヘビの頭を踏み砕く)が示される。それは、罪から解放されることへの希望を示す最初の小さな光だ *。

それから、天使のロウソクの光は、あつまっているみんなの手のなかのロウソクに移される。真っ暗だった教会にロウソクの光が広がっていく。でも、全体としてはまだまだ暗い。その中で、救い主の到来についての預言、そして、イエス・キリストの降誕のシーンが朗読される。

最後に、ベツレヘムの馬小屋の飼い葉おけにわたしたちの救い主がお生まれになったことが宣言され、クリスマスおめでとう! メリークリスマス! とお互いに挨拶をかわして、教会のすべてのあかりがともされ、光の世界へ大転換する。

あかりをぜんぶつけ、メリークリスマス! と言いながらロウソクをふきけす。。。たしかにそこには、カタルシスがあるよね、と思う。

でも、今年のコロナ禍で、おそらく世界中のほとんどのひとがそれを体感できない。残念だ。何かよい代替案があればいいんだけどさ。。。

註)
*  Cf. 創世記 3:1-15

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