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Festina Lente... ゆっくり、急ぐ。。。

コロナ禍で物理的にあつまることがむずかしいので、自分の属している教会でもどんどんオンラインに移行している。

毎週YouTubeでメッセージが配信され、Zoomで礼拝し、Microsoft Teamsで会議をやるなんて、一年前は想像すらできなかった。

Zoomの礼拝はデバイスを選ばない。PCでもノートパソコンでもiPhoneでもiPadでもAndroidでもOKだ。

でも、ガラケー使いの人たちがけっこうまだ存在している。ガラケーではZoomは出来ないしYouTubeも見れない。お手上げだ。

もし仮にiPadを貸与しても、ユーザーインターフェースがちがうから、つきっきりで教えてあげないといけない。

今日の聖書の言葉。

互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。
ガラテヤの信徒への手紙 6:2 新共同訳

時代が大きく変わる時、すぐ新しい世界へジャンプして行けるひとと、ゆっくり時間をかけて移行しなければならないひとがわかれてくる。

そういうとき、荒野を旅したイスラエルの民のことを考える。120万人ぐらいのひとたちが、神の臨在(シェキナー)の現われである炎の柱・雲の柱にみちびかれながら、いっしょになって移動したんだ。その様子が旧約聖書の出エジプト記から申命記にかけて記録されている。

神の臨在がとどまると、ひとびとはテントをそこに張ってとどまった。神の臨在が動き始めると、祭司たちは合図の角笛をならし、ひとびとはいっせいにテントをたたんで移動し始めた。

そういうとき、ささっとテントをたたんで歩き出せるひとと、たたむのに苦労して出遅れるひとがいたに違いない。だから、その差をなんとか調整してイスラエルの民はいっしょに移動してたはずなんだ。

ガラケーしか持ってなかった人が、iPhoneやiPadを導入して、家族に教えてもらいながらZoomの礼拝に毎週参加しはじめた。回を重ねるごとに確実に上達している。音声も聞こえるようになり、ミュートのオン・オフも自分でできるようになってきた。

でも、アシストしてくれる人が身近にいない場合には、郵送、ファックス、電話という、むかしながらの方法が必要になる。

そうなんだよね。ガラケーオンリーだったら、このnoteだって読むことはとってもむずかしい。。。

昭和生まれの自分は、四国原紙のガリ切りからスタートして、ボールペン原紙、謄写ファックス、青焼きコピー機、乾式コピー機、ワープロ、ドットインパクト、インクジェット、HTML、BBS、XTML、ブログ、Twitterと、ひととおり経験してきた末に、いまnoteで表現する場合は完全ペーパーレスだけれど。。。ペーパーじゃないといけないものは当分まだあるよなあ、と思う。

じゃあ、この note の内容を ZIN(自家印刷・自家製本で少部数制作して頒布するマガジンの略称)に作って手で配るかー、っていうと。。。ちょっと、それはね、どうだろう。。。考えさせてもらうことにする。。。

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