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あなたは砂派? それとも星派? っていう話です。

天下の大泥棒と言われた石川五右衛門は五右衛門風呂で煮られる直前に辞世の句をこういうふうに詠んだんだって。。。

浜の真砂まさごは尽きるとも世に盗人ぬすびとの種は尽きまじ

これは言い換えると、世の中に心配の種は尽きない、ってことだよね。

今日の聖書の言葉。

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
ペトロの手紙一 5:7 新共同訳

それこそ、泥棒の心配からはじまって、健康について、人間関係について、仕事について、社会について、経済について、国際情勢について、宇宙について、ありとあらゆる心配事があるわけだけど。。。

今朝なんか山梨の地震と和歌山の地震で、ん?  日本沈没の連動企画? とか思っちゃったよ。。。

心配事、つまり、想定可能なリスクに対して、確実に予防策を用意できればいいんだけれど。ひとつについてプランA、プランB、プランCぐらいまであれば理想だよね。。。

でも、個人の力ではどうすることもできないリスクもあるわけで。。。

じゃあ、どうすることもできないものについては、心配がココロにまったく去来しなくなるか、っていうと、そんなことはちっともなくって。。。

むしろ、あーでもない、こーでもない、どうしよう、どうしよう、っていう、どうしようのデフレスパイラルに落ち込んで行ってしまう。。。

まあね。。。どうしようもないんだから。。。どうしようもないよね。。。

人類が、いったい、いつから神という概念をココロに抱くようになったのか、定かではないけれど。。。

でも、たぶん、遠い遠いご先祖さまのひとりが、ふりかかるあらゆる危険を前にして、自分にはどうすることもできない絶望的な無力感に打ちひしがれて、夜空を見上げて、こうつぶやいたに違いないんだ。。。

もしもし、だれかいますか。もしそこにだれかいるなら、どうか自分を助けてください。自分には負いきれませんから。。。って。

そしたらね。。。その瞬間。。。声が聞こえて来たんじゃないかと思う。ここに、わたしがいるよ、わかっているよ、だいじょうぶだよ、って。。。

それが、人間と神との最初の出会いだったんじゃないのかなあ、って想像する(諸説あります)

むかし、自分に後継ぎが生まれなくって、無力感に打ちひしがれていたひとりの男がいた。彼も、ため息をつきながら、夜空を見上げたんだ。

すると「神」は、その男、アブラハムにこう言った。

主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
創世記 15:5-6 新共同訳

あなたの子孫は宇宙の星の数より多くなる。だから、心配しなくていいんだよ、って「神」は言うわけ。。。

ふつう、そんなこと言われても、はーっ? 何を根拠にそんなたいそうなことを? 証拠を出せ、証拠を! って思っちゃうんだけどさ。。。

でも、だいたい、神の言う事は、証拠の求めようがない大胆な内容が多いので、証拠を求めずらい。。。

こういうのとか、あるぐらいだもの。。。

喜び歌え、不妊の女、子を産まなかった女よ。 歓声をあげ、喜び歌え 産みの苦しみをしたことのない女よ。 夫に捨てられた女の子供らは 夫ある女の子供らよりも数多くなると 主は言われる。
イザヤ書 54:1 新共同訳

でもねー。。。

アブラハムは「神」が言うことを素直に信じた。それが、アブラハムのスゴイところで、信仰の父、と呼ばれるゆえんだよね *。

アブラムは主を信じた
主はそれを彼の義と認められた

ここで問題。。。

浜の砂の数(石川五右衛門)と、宇宙の星の数(アブラハム)と、いったいどちらが多いでしょうか?

まじめにこれを計算したひとがいて(笑)

世界中の浜の砂粒は 4.24×10^17 (10の17乗) 個であるのに対して。。。

宇宙の星の数は 10^22 (10の22乗) 個なんだって。

圧倒的に星の数のほうが多い!

心配するなら、この世界は心配事だらけだけど(五右衛門の勝ち)

「神」を信じるなら、世界は希望に満ちているんだ(アブラハムの勝ち)

五右衛門のスタイルを選ぶか、アブラハムのスタイルを選ぶか。。。

それは、いま・この瞬間の自分のココロの持ち方次第だよね。。。

註)
*  Cf. ローマ 4:12

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