滅びの穴にまっしぐら、を祝福に転換する、「ネ」のパワーの不思議。
ひとを呪わば穴二つ、という言葉があるけど、「呪」という字をじーっと見つめてると、口が2つあるように見えない? 滅びの穴が2つみたいだ。
呪 = 口兄
右側の穴には足がついてる。で、これまたじーっと見つめてると、なんか、滅びの穴に続く道のように見えてこない? こんな感じ。
思うんだよね。。。他人を呪ってると、自分も滅びの穴にまっしぐらに進むことになっちゃうよなー、って。
今日の朝、手もとにあった口語訳聖書をなにげに開くと、詩編109編があたった。いわゆる「呪いの詩編」と呼ばれるもの。ダビデ王が書いたものなんだけど、彼が人生で追い込まれてた時期に書いた詩編だ。
ダビデは柔和な王だったとされるから、いやー、よっぽど追い込まれてたんだなあ、と思う。だって、呪いに次ぐ呪いの羅列だもん。心の闇を感じる。コワイから、この詩編、引用しないでおこう(笑)
でも、まあ、自分も過去に追い込まれてた時期、この「呪いの詩編」を毎日唱えたくなる心境になったことは、ある。。。やらなかったけど、さ。。。
そういう意味では、自分の心の闇を、この詩編は共有してくれている、というか、掬い取っていてくれるのかなあ、と思う。人生、そういう日もあるよね。。。誰かを呪わずにはいられない日。。。
でも、他人を呪っていれば、呪いは、自分にも悪影響を及ぼす。それは、魂を苦くし、骨を蝕むのだ。
呪いって、自分の傷ついた心から生まれるんだと思う。詩編109:22(口語訳)で、こう言われているし。
わたしの心はわがうちに傷ついています
古代の文献に総当たりしたわけではないから断定はできないけれど、もしかしてこれって、世界最初の「トラウマ理論」の言及かもしれないねー。敵に心を傷つけられ、その傷が生み出す呪い、それが、他者も自分も不幸にする、魔のデフレスパイラル。
どうしたら、そこから解放されるんだろう。。。
今日の聖書の言葉。
親切な言葉は蜜の滴り。 魂に甘く、骨を癒す。
箴言 16:24
他人から傷つけられても、自分の口から蜜のように甘い親切な言葉を語ることができるだろうか。。。とんでもない無理ゲーに思えるけど。。。
呪いの正反対の「祝」という字をじーっと見つめると、やっぱり、穴に向かって道が続いてるように見える。この場合、祝福に向かう道だろうね。こんな感じ?
で、祝って字をさらにじーっと見つめていると、左側に「ネ」が見えて来るよね。
祝 = ネ兄
「ネ」って、もとは「示」という形で、意味は、神のためにしつられられた祭壇の上に、犠牲の動物が置かれ、血がしたたり落ちる様子をあらわしているんだって。
そこから自分は、イエス・キリストの十字架を連想するんだ。祭壇の上にささげられた神の小羊イエスを。。。
イエスは全宇宙の呪いを一身に引き受けて、十字架にかかり、死んで、よみがえってくれた。そうすることで、イエスはすべての呪いを終わらせてくれた。それは、自分の心の傷と、そこから生まれる呪いも、終わらせてくれたんだ。
キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
ガラテヤの信徒への手紙 3:13 新共同訳
だれかを呪いたい、という気持ちになったとき。。。魔が差す時だけど。。。自分は、イエスの十字架に心をフォーカスさせるように心がけている。
だって、自分の傷にフォーカスしたら、呪いしか生まれない。傷つけた相手にフォーカスしても、呪いしか生まれないから。
でも、イエスの十字架にフォーカスするとき、自分は赦され、癒され、解放され、自由になることができるんだ。
そうしてみて初めて、この聖書の勧めを実行してみようかなー、という前向きな気持ちになれる。
あなたがたを迫害する者のために
祝福を祈りなさい
祝福を祈るのであって
呪ってはなりません
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