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トンネルの真っ最中で、トンネルに入る前の世界を思い出しながら、トンネルを抜けるの待ち続ける。。。

トンネルを通っている時は、真っ暗だからと言って、汽車の窓から飛び出してはいけないよ。だって、トンネルは必ず抜けるんだから。。。

という言葉を、むかーし聞いたことがあって、ときどき、思い出す。

トンネル通過中だなあ、と思う時は、特に、ね。

今日の聖書の言葉。

あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。
ヤコブの手紙 5:13 新共同訳

疫病による自粛のために、教会に物理的につどって礼拝する、ってことが、ずーっとできていないけれど。。。

考えてみれば、これも、トンネルだね。

トンネルに入る前の世界では、毎週日曜日にみんなが教会で顔を合わせて、いっしょに歌ったり、祈ったりしていたなあ。。。

大好きなエルビス・プレスリーの歌に「小さな教会で」(You saw me crying in the chapel) っていうのがあって、こんな感じの歌詞になってる。

 小さな教会で
 イエスさまに救われた
 こころは満たされたて
 涙がながれるのさ

 小さな教会で
 少ないひとたちと
 ひたすらに祈るよ
 信じて生きるために

 あれこれいろいろ
 試したけれど
 ここしか安らぎはない

 小さな教会で
 少ないひとたちと
 こころひとつにして
 讃美歌うたうのさ

 あれこれいろいろ
 試したけれど
 ここしか安らぎはない

 小さな教会で
 悩みがあるたびに
 ひざまづいて祈り
 重荷を下すのさ

トンネルに入る前の世界は、これだった! って感じ。

いまは、どうだろう。。。

自分の抱えている苦しみは、だれにもわからない、って思ってみたり。。。

他者が抱えている苦しみは、自分には理解できない、って思ってみたり。。。

トンネルモードのときに陥りがちな思考パターンだ。

でも、真実でもあるよね。

だって、だれも自分に変わることはできないし、自分だって他人に変わることはできないわけだから。。。

しかし、たったひとりだけ、他者であるのに自分になって、自分であるのに他者になれるひとが、いると思う。

それがイエス・キリストだ。

かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。
ヨハネによる福音書 14:20 新共同訳

十字架にかかり復活したイエスは、聖霊をとおして、みんなのこころのなかに現臨している。

聖霊をとおしてみんなのなかにいるイエスは、自分の気持ちも他者の気持ちも、ぜーんぶイエス自身のものにして、父なる神に差し出してくれている。。。そう自分は信じている。

トンネルに入る前の世界では、日曜日に教会があって。。。

そこでは、他者が立ち上がり、こころのうちにある思いを言葉にし、祈りとして、神にささげていた。

その祈りを聞きながら、自分は「アーメン」(ほんとにそうです!)と唱和していた。何度も、何度も。。。

それは、自分の狭い理解を超えて、聖霊が自分と他者を結んでいてくれるから言えるアーメンだったんだよなあ、と思う。

アーメンって、超自然現象じゃん!(今さらながら)

それから、他者も自分もいっしょに立ち上がり、声をあわせて、讃美歌をうたい、感謝と賛美を神にささげていた。何度も、何度も。。。

それはやっぱり、歌のうまいへたを超えて、聖霊が自分と他者を結んでいてくれるからできる共同作業(レイトゥルギア)だったんだよなあ。。。

賛美の歌も、超自然現象じゃん!(今さらながら)

そんなことを思いながら、きょうも自分は、汽車がトンネルを抜けるのを待っている。

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