いつのまにか消えたり、なくなったりして、少し不安にかられたときに、考えること。。。
朝はコーヒー。でも、日中は紅茶を飲んでいる。
紅茶はティーバッグ100枚入りの箱を買っているのだけれど。
たくさんあるから、安心。。。って思っていると、いつのまにか残り少なくなって、気づいたら、箱が空っぽなんだよね。
いつのまにか気づいたらなくなっているもの、って、いろいろある。
iPhoneの充電、歯磨きのチューブ、トイレットペーパー、米びつの米、口座の残高、近所にあったはずのお店、よく見てたけどひさしぶりに訪れたら無くなっていたウェブサイト。。。
今日の聖書の言葉。
いつまでもなくならないもの、って、そうそう、あるもんじゃないよね。
個人より大きなもの、社会や国家だって、無くなってしまうことがあるぐらいだもん。
ローマ帝国が、クリスチャンへの迫害を停止し、一転して、キリスト教を国教にしたとき、これで黙示録に預言されている栄光の「千年王国」が地上に実現した!って、誰もが思った。
でも、西ローマ帝国は滅亡。かなり遅れて東ローマ帝国も滅亡した。それは、永遠の王国では、なかったんだ。
「千年王国」のビジョンを無神論のフィルターで濾過して引き継いだマルクス主義がロシア革命を実行したとき、科学で矛盾を克服して常に前進する理想の社会が永遠に続くんだ!って、誰もが思った。
でも、それは途方もない失敗に終わり、74年で幕を下ろした。やっぱり、それも、永遠の王国では、なかったんだ。
音楽の世界では、愛こそすべて・愛は永遠に・とわの愛を誓う、を歌う勢力と、愛の終わり・破れた愛・過ぎ去った愛、を歌う勢力とで、はげしくせめぎ合い、勢力図は均衡している状況だ。
人間の愛は、永遠を志向している。同時に、人間の愛は、破局が避けられないことを、誰もが経験上知っている。
このせめぎあいは、どっちが勝つんだろうね。
でも、今日の聖書の言葉は、永遠に続く愛があることを、告げている。
恵み深い主に感謝せよ 慈しみはとこしえに
口語訳聖書だと、もっと明確に、こう言っている。
主に感謝せよ、主は恵みふかく
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない
神の愛、あわれみ、いつくしみは、永遠に絶えることがない。それは、われわれが、どんなに神を裏切り、神を傷つけ、神を悲しませたとしても、それでも、けっしてなくならない、弱まらない、むしろ、いよいよ強くなっていく、永遠の愛なのだ。
残り少ないティーバッグを数え、空っぽに近づく財布をながめながら、自分は溜息をつき、しかし、気を取り直し、居住まいを正して、こころを神に向けて行く。神の愛に向かっていく。
永遠に消えることのない、ただひとつのものに向かって。
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