何に依存しているのか、あぶり出される
年末年始を迎える直前、ボイラーが壊れた、とか、洗濯機が壊れた、とか、身近なひとから聞いて、そりゃ、大変だなあ、と思った。修理業者や家電販売店がクローズしているタイミングだもん。ひたすら不便を耐え忍ぶしかないよね。。。
と思ってたら、東アジアのある国では、年末年始に大停電だって。。。その国は、ICTによるキャッシュレス化が進んでいて、日常生活で現金を使わなくなってる、と聞いていたから、ぞっとした。。。だって、電気が無ければスマホが充電できない ➡ スマホが使えないとキャッシュレス決済できない ➡ 現金も無いから年末年始に買い物できない、ということだもん。
昨年はコロナ禍への対応から、自分の仕事に関しても、あらゆることがオンライン化され、ペーパーレス化されて、紙を印刷してハンコをつく場面が、ほんとうに無くなった。。。リアルにハンコついたの、数えても10回以下かも。。。あとはすべて電子印鑑で済ませてしまえた。
そう考えると、ICTへの依存が、すっごく高くなっている、と感じる。
SF映画の世界じゃないけど、もし突然、電気がなくなったら。。。それによってICTが機能しなくなったら。。。自分も社会も、どうなるんだろう、と考えちゃう。
便利に依存すればするほど、その依存している「こと」が、自分にとっての最大の弱点になってしまうのかもしれないねー。
今日の聖書の言葉。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
ヨハネによる福音書 15:5 新共同訳
人生を成り立たせている、いろんな要素。それを、どんどん引き算して行って、最終的に、どうしてもこれだけは手放せない、という要素は、なんだろう?
究極までつきつめて考えれば、クリスチャンである自分にとっては、それは、イエス・キリスト、ということになるんだと思う。
自分とイエスとの、心のつながり。命のつながり。関係性。。。
それさえあれば、あらゆるものがストップしても、希望をもって生きられる気がする。。。なぜなら、その希望は、墓を超えて続く希望だから。
そりゃ、最強だよね。
人生最悪の状況である十字架を通って復活したイエス。
だからこそ、最強の希望を、わたしたちに与えることができるんだと思う。
テレビや新聞で、ひどいニュースを見聞きするたびに、つい、「ジーザス。。。」って呟きたい衝動に駆られる。。。そういうときは、むしろ、イエスに向きなおって、こう祈りたいと思う。。。
わたしの希望であるイエスさま。
あなたは復活であり、命です。
嵐がふきすさぶ世界のなかで
いま、この瞬間
あなたにつながっていることが
できますように!
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