あせらず、いそがず、あきらめず
ウォーラースタインという歴史政治学者がいて、彼が提唱する「世界ヘーゲモニーシステム論」では、地球上の覇権国家(ヘーゲモニー)が、歴史的にどのように変遷して来たかを分析している。
おおざっぱに言うと、東から西へ移動して来た感じ。アラビア → イタリア → スペイン → イギリス → アメリカ、みたいな。。。
じゃあ、アメリカの次の覇権国家は、どこ? という予測なんだけど。。。
彼の論によると、ヘーゲモニーは、アメリカから中国に移る、ってなってるんだよね。。。
今日の聖書の言葉。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
マタイによる福音書 5:9 新共同訳
ヘーゲモニーが移動するに際しては、しばしば、戦争が起きて来た。
イギリスからアメリカにポジションが移動するにあたっては、第一次大戦と第二次大戦という、全地球規模の総力戦が、二回も起きてしまった。。。
でも、二度の世界大戦が、あまりに悲惨であったため、戦後、その反省として、ふたつの大きな出来事が起きた。
ひとつは、人類史上はじめて「武力行使」が違法行為として、国際法で明確に定められたこと。それが国連憲章だ。国連の加盟国は原則として、国連安全保障理事会が合議で承認した場合以外には、いかなる武力行使もしてはいけないことになっている。宣戦布告して行う戦争だけでなく、国境や接続水域での武力による威嚇も、すべて違法行為になるんだ。
ふたつめは、バチカンの囚人として引きこもっていた教皇が、教会を世界に開くための大改革に転じたこと。それが第二バチカン公会議だ。ヨハネス23世以降の教皇は、平和・人権・社会正義・経済格差・難民・環境・軍拡競争の問題に積極的に発言するようになり、プロテスタントや他宗教の指導者たちとも手を携えて、世界平和の実現を呼びかけている。
戦後の国連と教皇の姿勢には、平和のためには、なりふりかまわずやらなきゃダメなんだ、という思いが見て取れる。
実際、キューバ危機でアメリカのケネディとソビエトのフルシチョフが核戦争のボタンを押す寸前まで行ったとき、教皇ヨハネス23世が必死に祈りと呼びかけをして、ギリギリ回避した、ということがあった。。。
それが1962年だから、キューバ危機が回避できなかった別の世界線では、1965年生まれの自分は、きっと存在していないと思う * 。。。
平和を実現する人々は、幸いである
その人たちは神の子と呼ばれる
ヨハネス23世は第一次大戦でイタリア軍の衛生兵。ケネディは太平洋戦争で魚雷艇の艦長。フルシチョフはスターリングラード攻防戦とクルスク大戦車戦で政治局員。いずれも、最前線で戦争の悲惨さを経験した人たちだった。
その人たちですら、核戦争のボタンを押す寸前まで行ったわけだから、戦争の経験を持たない今の世界の指導者たちは、この先、いったい、どうなることやら。。。
ヨハネス23世の回勅『パーチェム・イン・テリス』(地には平和)は、戦争による破滅を避けるには、人種や政治体制や宗教の違いを超えて、共通善(みんなの益)のために、みんなで力を合わせるしかない。そして、その取り組みは、急激には進まない。一歩、一歩、ゆっくり進めるしかない、と言っている。
あわてず、急がず、あきらめず、祈ろう。祈り続けよう。
アシジの聖フランシスコの平和の祈り
主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
憎しみのある所に、愛を置かせてください。
侮辱のある所に、許しを置かせてください。
分裂のある所に、和合を置かせてください。
誤りのある所に、真実を置かせてください。
疑いのある所に、信頼を置かせてください。
絶望のある所に、希望を置かせてください。
闇のある所に、あなたの光を置かせてください。
悲しみのある所に、喜びを置かせてください。
主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください。
なぜならば、与えることで人は受け取り、忘れられることで人は見出し、許すことで人は許され、死ぬことで人は永遠の命に復活するからです。
註)
* キューバ危機が起きた世界線を描いたかのようなSF小説『黙示録3174年』がウォルター・ミラーによって1959年に書かれ、1961年にヒューゴー賞を受賞している。核戦争後の世界で生き残った修道士たちの姿を描いた作品。もしかしたら、ヨハネス23世はこの作品を読んでいたかも。
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