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ポストコロナ社会を想像してみる

「終わりなき日常」が続く、と思っていたのを、あっと言う間に変えてくれてしまった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。

WHO=世界保健機関のテドロス事務局長は、世界は新型コロナウイルスが広がる前の姿に戻ることはなく、人々の生活は「新しい日常」を迎えるとの認識を示しました。「世界は私たちがいた元の姿に戻ることはできないでしょう。『新しい日常』になるはずです」

ロックダウンを宣言した国の中には、ピークに近づいた、との見方を表明する政府の指導者がちらほら出始め、解除のタイミングや手順をめぐる議論が進んでいるようだ。

長いトンネルのように感じられる社会的隔離。あと数か月したら終わるのか。みんなの忍耐力の試されどころだ。

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2または2019-nCoV)が人口の70%に感染し、それらの人々が免疫力を持てば、発症者が出ても、免疫力を持つ人間の壁で囲い込める。すると、ウイルスはパンデミックを起こせなくなる。そこが長期的な目標なのだろう。そこに行くのに3年ぐらい?

あと数か月、長くて3年ぐらいで、新型コロナウイルス感染症は一応終息するのでは、と願いたい。

もう元には戻らない・戻れない?

スウェーデンのグレタさんが言った「2020年は飛行機が飛ばない時が1か月ぐらいあってよいのではないか」という、世界中誰もが絶対無理ゲーと思った提案を、いともたやすく実現したどころか、世界中で車を減らし、工場を停め、株を暴落させ、大気の二酸化炭素を減衰に転じさせたウイルスは、もうすでに今、人類社会に不可逆的な変化を与えていると思われる。

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人口の三分の二を滅ぼしたと言われるペスト。これはウイルスではなくネズミノミが媒介する細菌だが、致死性の高い「黒死病」として、農奴制に基づく中世の社会を不可逆的に変化させた。大災忌後に生き残った農奴は、貴重な労働力として価値が青天井に高まり、彼らを土地に縛り付けておくことができなくなった領主は、領主自身騎士として命からがら十字軍から逃げ帰った上に瀕死のペストからようやく回復した病身だから、強気には出られず、農奴を賦役から免除する代わりに貨幣を受け取ることを了承し、多くの貨幣を納めた農奴には、自由な身分と土地の保有を認めた。こうしてヨーロッパに独立自営農民が次々出現した。ものごとは、どんどん貨幣で回るようになり、貨幣を回すために利子を取るようになり、利子を禁じる教会を改革して利子を認めさせ、収支を管理するのに複式簿記を採用し、蓄積された貨幣を投資して新しい商売を立ち上げ、もっと商売をやりやすい環境を作るために独立自営農民は、ついに政治の世界に足を踏み入れて、庶民院議員となった。議員となった彼らは、新しい社会を動かす核となる勢力となった。パンデミックによって変わってしまった社会は、もう逆戻りできなかったのである。

これまでとは違う路線へ

商売をどこまでもやりやすくする、という独立自営農民のパッションあるいはエートスは、現代にいたるまで社会をつき動かして来た。労働力の効率化のために工場と住宅を都市に密集させ、商売の邪魔になる関税を撤廃させ、国境を開放させ、商売の仕組みを世界共通化させ、ローカルな枠組みを終了させる、という路線を着実に実現して、今日まで来たわけだ。その実現した姿を象徴するのが、どの瞬間にも1万数千機は空中を飛んでいる旅客機だろう。

だが、グレタさんの提案を、絵に描いた餅、ではなく、本当にしたウイルスのせいで、いまこの瞬間世界を飛ぶ飛行機は3千機弱にまで減った。ことによったら、この先もっと減るかも。ウイルスは、密集した都市で増殖し、飛行機に乗って拡散し、開放された国境を簡単に通過し、あっという間にパンデミックを引き起こせたのだから、人類が生き残るには、これまでとは違う路線をやるしかない。

つまり、都市の密集を避け、国境を閉鎖し、商売は閉じた国内で回し、商売の仕組みはローカルに戻す、という路線だ。世界の工場「中国」に送り出した生産拠点を、もう一度国内に引き戻す。そんな方策を真剣に検討し始めた国がある。次の新しいウイルスがいつどこから出現するか予測できないのだから、この新しい路線は、長期にわたってやり続けることになるのではないか。わからんけど。

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そこで、ポストコロナ社会が、どういう姿になるのか、想像力たくましく、妄想してみよう。

1.在宅ワークが標準的な働き方になるかも

これまでは、労働力を密集させて、協働によるベストパフォーマンスを引き出していたわけだから、工場もオフィスも住宅も「密集化」を選択し続けてきた。その結果が世界各地のメガシティだ。今回、密集化によってウイルスが労働力に与えるダメージが最大化されるとわかってしまった。対抗策が、在宅ワークだ。インターネットとWiFiのおかげで、数か月に及ぶ在宅ワークを世界中の企業と個人がやり遂げて、パフォーマンスは落ちなかった、と体験できてしまったら、ポストコロナ社会は「密集化」には逆戻りしないだろう。オンラインのビデオ会議で画面が固まったり音声が途切れたりするのに、みんな忍耐させられているが、今年実用が始まった5Gが普及すれば、ビデオ会議のストレス解消どころか、高解像度VRヘッドセットを装着して、本当にみんなオフィスにいるように錯覚できる世界は遠く無い。12か月後ぐらいにはそうなっているかも。

2.工場のロボット化が進むかも

オフィスの密集化は在宅ワークで回避できた。工場は、そうはいかない。今回のウイルス禍で名だたる大企業が数か月も工場を閉鎖し、ラインをストップせざるを得なかった。ポストコロナ社会では、次のパンデミックが起きた場合にラインをストップしない方策として、部品調達の国内完結化と、全工程のロボット化が進むかも。工場内はロボットだけ配置。黙々と働き続けるロボット群を、在宅ワークの担当者が遠隔で監視、あるいは、AIが監視するかもしれない。完全無人化の工場が稼働、というニュースを聞く日が、そこまで来ているかも。

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3.労働価値説が崩壊?

労働者が、工場における労働を通じて、自分の身体から価値を絞り出し、価値が化身して製品となり、製品は労働者の手から取り上げられ、市場に渡って商品となり、価値は商品と共に労働者のもとを去って行くから、労働者から人間らしさが失われてしまう。その自己疎外を補償するために、賃金・レクリエーション・社会保障が不可欠だ。これが古典的マルクス経済学の考え方なのだろうけど。。。間違っていたらスミマセン。。。もし労働がぜーんぶロボットとAIに取って代わられたら、労働価値説は崩壊してしまうのではないかしらん。高度に密集した労働者の身体から効率的に価値を絞り取ることで社会を回転させ、経済を発展させる、という拡大路線は、今、ウイルス禍で止まっている。ポストコロナ社会では、社会を防衛し、経済を維持し、人間の生存を保障する、というサバイバルの発想から、もはや報酬としての賃金ではなく、社会政策としてのベーシックインカムに転換していくのではないか。わからんけど。

4.大都市が縮小に転じるかも

労働力を都市に最高度に密集させてベストパフォーマンスを引き出す戦略が、ウイルスに裏をかかれて、ロックダウンさせられている。このリスクを回避するには、みーんなばらばらに分散して住む方がいいんじゃね?ということで、大都市の時代から地方都市の時代、地方都市の時代から田舎に住む時代になるかもしれない。たとえば、100メートルおきに家がある地域に、ばらばらに住みながら、ICTと5Gで在宅ワークをこなし、電気は太陽光と風力と燃料電池で自家発電。家庭菜園をやってもよいし、AI管理の全自動式水耕栽培で野菜を育てても良い。工場で生産された商品も食品も不可欠だが、購買のためにモールが密集した都市は必ずしも必要ではなく、田舎からオンラインで注文し、ドローンで宅配が完了すれば、足りてしまうかも。

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5.現金を使用しなくなるかも

ウイルスに感染しないためには、ウイルスが付着した可能性のあるものを触らないことで、誰が触ったからわからないものは、触らないに越したことはない。誰の手が触れたか最も不明なのが現金。造幣局で刷られ日銀から市中銀行を経てスタートし、いったい何万人の手を経て自分の手元に届いたのか。ピン札でもない限り、想像もつかない。まさか釣り銭の受け取りを拒否もできない。財布の中味が尽きれば、これまた誰が触ったかわからないATMのタッチパネルに触って、ピン札が出てくるとは限らない現金を引き出す。これが、Apple Watchに仕込んだクレジットカードの非接触決済で済ませられれば、ウイルスに触れる機会は大きく減らせる。ポストコロナ社会では、公衆衛生政策としてのキャッシュレス化があるかも。

6.ブルカが流行するかも

マスクの効能を当初否定したWHOや米国政府が、ここに来てマスク着用の必要性を訴えている。マスクの効能は、ウイルスを含んだエアロゾルを繊維が吸着できるかどうかより、むしろ、マスクを付けていると手指を顔に触れる無意識の行動が抑制される点にあるようだ。その線を最大まで追求した完成形態が、もしかしたらムスリム女性が着るブルカかも。外気に開かれているのは目のスリット部分だけの全身カバー着は、布の材質のチョイス次第でほぼPPEに近づけられる。スリットの下にゴーグルを着ければ完璧。ポストコロナ社会では、タンクトップにホットパンツは、もはや映像アーカイブか博物館の中でしか見られなくなるかも。

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7.生活スタイルは日本式になるかも

握手、ハグ、キス、頬ずりは姿を消し、世界中が日本人のように、お辞儀をするようになるかも。さらに、ロックダウンは憲法上の制約で出来ず、ゆるーい外出自粛の呼びかけしかしていない日本で、何故ウイルス発症者と死者数が他国と比べて非常に低いのか、の理由が、あれこれ詮索された挙句、靴を脱いで家に入る日本人の生活習慣がウイルスを家庭内に持ち込む量を大きく減らしていたからなのだ、となった場合に、世界中が家で靴を脱ぐようになるかも。お辞儀・靴脱ぎは、VSPすなわちVirus Sensitive Protocolと呼ばれるようになるかも。

8.海外旅行はできなくなるかも

ウイルスの国内侵入を防ぐには即決で国境封鎖をできることが重要だとわかったので、ポストコロナ社会では、多くの国が相互に行っているビザ免除渡航プログラムがだんだん廃止され、昔みたくビザ申請に面倒な手続きと長い待ち時間が要求されるようになり、あるいは、いつまで待ってもビザが交付されないという穏健な形の入国拒否が常態化して、実質的に誰も海外旅行ができなくなるかも。

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9.バストイレは各部屋ひとつになるかも

医療費の圧迫による政府の財政破綻を回避するために、多くの国では病院がベッド稼働率を93パーセント以上で回さないと黒字が出せない仕組みに政策誘導されていて、その結果として、余剰なベッドと医療人員がほぼほぼ無いことが理想の姿とされるようになっていた。今回のウイルス禍で、世界中どこでもベッドの不足に直面しているのには、そういう背景があると思う。じゃあ、ポストコロナ社会では、いつ来るかわからないウイルス禍に備え、潤沢に空きベッドと余剰スタッフを常時維持できるかというと、それは無理だろう。なので、公衆衛生政策として、軽症度の罹患者が可能な限り自宅で療養できるよう、そのために、トイレ・風呂・ランドリーといった家族間の共用部分を完全分離できるよう、つまり、一世帯に複数のトイレ・風呂・ランドリーを設けられるよう、リフォームの補助金が政府から出るようになるかも。ポストコロナ社会では、注文住宅にせよアパートにせよ、世帯人数・イコール・部屋数・イコール・バストイレ数、という間取りが住宅政策として推奨されるかも。そうなると、リフォームがブームになり、衛生陶器の市場は大幅に伸びるかも。

10.教会の讃美歌と聖餐式が変わるかも

世界中の教会が礼拝を休止し、説教をYouTubeなどオンライン動画配信に切り替えている。すべての牧師がユーチューバー化しそうな勢いだ。同時に、クリスチャンが礼拝のために物理的な場所につどうことの意義が問われている。だって、自宅でiPhoneを開いてYouTubeで「礼拝」を視聴して、Apple Payで献金を払えたら、それで完結しちゃうじゃない?と思うクリスチャンも、おそらく存在するだろうから。物理的に集まって礼拝を守るのは、これまで2000年間、そうするしか情報共有の手段がなかったからなのか? もしそうなら、情報共有の代替え手段がICTで提供される現代、特にポストコロナ社会では、なおのこと、自宅で便利に礼拝できてしまえばいいじゃん、ピリオド。になりかねない。今回のコロナ禍の少し前から、プロテスタント教会の中には、物理的拠点の維持を放棄して、スターバックスやカラオケボックスでの「礼拝」に移行しているところが、ちらほらあった。だが、緊急事態宣言下では、頼みの綱のスターバックスもカラオケボックスも閉店。こうなると、いよいよインターネット教会への完全移行となるのだろうか? どうもそうはならないらしい。カトリック教会は、この状況下、信者にミサへの参列義務を免除し、ミサ中継をYouTubeで配信しているが、YouTubeの視聴は本当のミサに連なる代わりにはならないよ!と注意喚起の文書を出している。あくまで教会は物理的につどうことが必須の要件であって、オンライン礼拝はコロナ禍中での例外的な特別措置に過ぎない、ということなのだ。

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一方、公衆衛生の観点からネックになるのが、まず「座席に備え付けの本」だ。どの教会でもたいがい、聖書と讃美歌と礼拝指針が座席の背もたれのポケットにセットされて、参列者がそれを使って礼拝する。これは、誰が触ったかわからない、ウイルスの媒介になり得るものなので、おそらく廃止になるかも。聖書も歌も礼拝順序も、すべてパワーポイントでスクリーンに映しだすか、各自のiPhoneに配信される。そうでなければ、毎回の礼拝のたびに本を全部アルコール除菌するしかないが、52週それをやったら、本がふやけてぶよぶよになるだろう。

次にネックになるのが「平和の挨拶」だ。この時、参列者が前後左右の人と握手やハグをする教会がある。これはもう、お辞儀だけの日本式に変化するしかないと思う。あるいは、こぶしとこぶしをつきあわせる、グータッチ?

さらなるネックが「讃美歌」だ。座席に十分な社会的距離を取り、各自マスクを着けても、全員で一斉に讃美歌をうたえば、唾液が飛沫となって室内に広範囲に拡散し、そこにウイルスが含まれていれば、もう濃厚接触機会だ。

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最大のネックが「聖餐式」だ。祈りによって聖別された聖餐物質、すなわち、キリストのからだのシンボルであるパンと、キリストの血のシンボルであるブドウ液を、参列者に配布し、各自がそれを口に入れる。どういう手順で聖餐物質を準備し、どういう方法で配布するかは、教会によってやり方が異なる。問題は、どういう方法を使ったにしても、準備や司式にかかわる複数の人間の手が必ず聖餐物質に触れることは避けられず、手洗い・マスク・エプロンに気を付けていても、たった一人がひとつ所作をミスれば、聖餐物質がウイルスに汚染されて配られてしまうリスクがあることだ。

ポストコロナ社会では、どういうふうに讃美歌と聖餐式を続行できるか、教会は試行錯誤するしかないだろう。ことによったら、礼拝から讃美歌は消え、器楽、それも弦楽器か鍵盤楽器だけになるかもしれない。だって、管楽器はマスクをしていたら吹けないから。聖餐式については、究極的には、工場で滅菌パックに封入されたパンとぶどう液のミニボトル(お弁当に入っているお醤油のような?)になるかも。聖卓の上に、個別包装の滅菌パックが並べられ、司式者が医療用ラバー手袋を付けた手をのべて聖別の祈りをささげ、参列者がひとつずつ聖卓から受け取り、自分でパックを開封して、パンとぶどう液を謹んで食してしまう。そんな聖餐式の光景が、3年後ぐらいには、そこかしこで見れるかも。

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てか、もう、そういうの、製品化されてましたやん。ワロタ。。。小さなカップにブドウ液が入っていて、二重になったフタの間に薄いパン(ウエファース)が仕込まれている、という。100カップのセットで24ドル95セント。日本円で2,690円。1カップあたり約27円。でも、米アマゾンのサイトで見たら、現在取引停止中とのこと。このパンデミック下で聖餐式を行うために、全米の教会から注文が殺到して、出荷が間に合わない状況になっているようだ。

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以上まで書いていて、まだまだ妄想の種は尽きないが、長い社会的隔離における時間の過ごし方としては、5000ピースのバベルの塔のジグソーパズルに次いで、時間が経つのを忘れさせてくれるかもしれない。








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