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大統領選とクリスチャンたち

アメリカ大統領選が、いよいよ近づいてきた。ヒートアップの熱気が、広い太平洋を隔てて、じりじり感じられる。

ニーバーというアメリカの神学者がいるんだけど。。。セレニティの祈りを書いた人として有名 * 。。。ニーバーの説明によれば、アメリカは正と反がぶつかりあって止揚され合となる、という、ヘーゲル的な国家なのだそうだ。

まあ、考えて見ると、大統領選の両陣営、なにからなにまで対立してるように見えるよね。まさに正と反だ。しかも、双方の支持者が票数として伯仲してる。ほんと、フロリダの特養に入居してる数百人が選挙に行くか・行かないかで、結果が左右されるんじゃないか、と思うぐらい、差がないのだ。

ヒートアップを伝える報道の中で、福音派の動向がよく紹介される。福音派というのは、聖書を誤りのない神の言葉と信じている人たち、というのが単純な定義だ。

でも、「福音派はトランプ支持」と伝えられると、そうかなあ、と思う。というのは、福音派と言っても、一枚岩ではないからだ。日本人だから、みんな納豆が好きかというと、そんなことはないでしょ?

じゃあ、福音派の中の「カラー」の違いって、どんなのがあるんだろう。自分なりに考えて見た。

今日の聖書の言葉。

愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。
ヨハネの手紙二 1:6 新共同訳

自分が思うに、「愛」をどう実践するのがベストか、についての考え方によって、福音派の中の「カラー」が分かれてくるんじゃないかな。

「愛は、個人のレベルで実践するものだ」

こう考えるクリスチャンは、困っている人に出会うと、できるかぎりの親切をして助けようとする。けれど、政治には関心を持たない。あえて政治には口出ししないようにしているクリスチャンもいる。どうしてかというと、政治は議論を生み、議論は党派を生み、党派は争いを生み、争いは分裂を引き起こすから。だから、愛の実践を、個人のレベルを超えないようにしておきたいんだ。このタイプのクリスチャンは、どういう状況でも、あまり声を上げない。ただ黙々と愛を実践すればよいと考えているから。

「愛を、個人が実践できるためには、制約を取り払うべきだ」

こう考えるクリスチャンは、個人が愛を実践する上で、政府が作った仕組みや制度は、かえって妨げになる、と感じている。もし政府が小さかったら、税金が低く抑えられ、個人の可処分所得が増えるから、それを使って個人がもっとたくさんのひとを助けることができる、と考えるわけだ。こう考えるクリスチャンは、個人の自由を尊重し、大きな政府や社会主義を否定する傾向がある。

「愛は、個人の実践を超えて、組織化され社会化されるべきだ」

どんなに個人が愛の実践に努めても、問題となっている社会悪が、とてつもなく大きい場合、個人では太刀打ちできない。その社会悪に見合う規模の力を投入しなければならない。そのためには、個人を組織化し社会化して、力を合わせるしかない。善意の個人を組織化した民間団体や、もっと多くの力を結集して政策を実行する政治が必要、という考え方だ。こう考えるクリスチャンは、愛の実践=政治、と考えて、大きな政府や社会主義を歓迎することもある。

「愛の実践は、社会正義の実現を目指すべきだ」

イエス・キリストの十字架と復活によって、ユダヤ人と異邦人、自由人と奴隷、男と女の区別は撤廃され、神の前では、すべてのひとが平等だ。差別は、あってはならない。すべてのひとが尊重され、だれもが生きやすいように、社会を変革するべきだ。。。こう考えるクリスチャンは、愛の実践=社会正義の実現、と考える。じゃあ、どうやって実現する? 投票行動により、政党政治を通じて実現する、と考えるクリスチャンもいるし、街頭行動に出て、声を上げることにより実現する、と考えるクリスチャンもいる。

「愛は、神への愛と隣人への愛を通して、実践されるべきだ」

愛はまず、神への愛として、祈りを通して実践され、そして、毎日の生活を一緒に過ごすひとびとに、言葉と行いを通して実践されるべきだ。。。こう考えるクリスチャンのなかには、同じ信仰を持つ仲間同士でコミュニティを作り、場合によっては、外の世界と関りを持たないようにすることがある。テレビを見ない、インターネットに触れない、新聞を読まない、投票に行かない、というクリスチャンだ。それはけっして、閉鎖型の観想修道院とか、アーミッシュやフッタライトのコミュニティだけではないんだ。なんと、第二次大戦中のアメリカには、戦争の真っ最中であることを知らないで生活しているクリスチャンがいたそうだ。。。

福音派とひとくくりにされがちだけど、愛の実践をめぐっては、こういうカラーの違いがあると思う。ひとりひとりのクリスチャンを見た場合には、単色のカラーではなく、いくつかの複合色であることが多いのではないだろうか。

註)
* ラインホルド・ニーバー「静穏(セレニティ)の祈り」

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

一日一日を生き、この時をつねに喜びをもって受け入れ、困難は平穏への道として受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、イエス・キリストがされたように、この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。アーメン

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