#915 いったいどっちの線で? っていう話です。
今日もあたらしい一日がスタートした。
さて、この一日をどういうふうに生きるか、っていうことについては、あらかじめすべてが決まっているっていう「決定論」の考え方と、自分の選択によって物語がどんどん変わって行くっていう「非決定論」の考え方と、ふたつあるよね。
自分はいったいどっちの線で今日を生きるんだろう。
今日の聖書の言葉。
上記では神は「わたしを正しい道に導かれる」って言うんだから、これはロープをゆわえけつけられて意志に反してぐいぐいひっぱられて行く、っていうよりも、「こっちですよー。はい、そこは気を付けて。ここを曲がって。ちゃんとついて来てますかー。ゆっくり行きますねー」みたいにガイドさんに導かれて行く感じじゃないだろうか。
つまり、こっちの意志がある程度尊重されている、ってことだよね? あくまで個人の感想です。諸説あります。
自分が小学生の頃に読んだSFでは。。。タイトルは忘れてしまったけれど。。。もし宇宙のすべての原子の動きを計算機でシミュレートできれば、人間の意志を含むすべての現象の未来を正確に予測することが可能だ、という「決定論」の立場が述べられていて、ほえーっ、って思った。
でも、その後、量子が奇妙なふるまいをすることが科学の世界でわかってきて。。。
たとえば、観測者がどう思って量子を見るかによって、量子が波としてふるまったり、粒としてふるまったり、っていう現象。
それってつまり、だれかが見るまでは、ものごとはなんにも決まっていない、っていうことになるわけでしょ?
だとすると、この世界は量子のレベルでは「決定論」でも「非決定論」でも、どちらでもないんじゃないの? って思わされる。
じゃあ、量子のレベルでは「決定論」でも「非決定論」でも、どちらでもないとしても、それが人間の意識のレベルにまで関係するのか、ってことなんだけど。。。
この点について重要な提案をしたのが量子学者のロジャー・ペンローズによる「量子脳理論」だと思う。
それによれば、脳にはマイクロチューブルという微細な構造があって、そこで起きる量子のふるまいによって人間の意識が発生しているんじゃないか、ってことなんだ。
で、最近、どうもほんとうに量子のふるまいが人間の意識に関与しているらしい、っていう実験結果がダブリン大学トリニティ・カレッジ神経科学研究所の研究者たちによって出された。
量子のふるまいが「決定論」でも「非決定論」でも、どちらでも説明がつかないものであり、それが人間の意識にまで関与しているのだとしたら。。。
だとしたら、今日を生きる自分の選択は、決定されているわけでもないし、決定されていないわけでもないし、どちらでもない、ってことになるよね?
いったい、どっちやねん(笑)
まあ、でも、そういうことを考えると、どうして聖書には決定論に見えるような書き方と、非決定論に見えるような書き方と、両方が出て来るんだろう、っていうことについて、なんとなーくわかる気がする。
つまり、どちらでもあるように見えながら、どちらでもない、っていうのが、宇宙と自分の意識についての真相なんじゃないかと思うんだ。
はい。あくまで個人の感想です。諸説あります。
さて、朝のコーヒーを飲み終えて、今日のタスクのために動き出すわけだけど。。。
もういちど考えてみる。
この一日をどういうふうに生きるか、っていうことについては、あらかじめすべてが決まっているっていう「決定論」の考え方と、自分の選択によって物語がどんどん変わって行くっていう「非決定論」の考え方と、ふたつあるよね。
自分は、あえて両方の線で生きてみようと思う。
すべての出来事が永遠の昔から、善意にあふれた「神」によってぜーんぶ決められている、っていうことを信じながら。。。
同時に、自分の思いと祈りと願いによって、その物語はどんどん変化して行く、っていうことを信じている、みたいな。。。
そういう両方の線を行く状態を上手く言い表す言葉があるとしたら、やっぱりこれなんじゃないかなー、と思った。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる
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