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イエスはあなたが思っている以上にあなたのそばにいる。

自分にとって、自明であって不変であって永続的であるもの。

そういうのって、考えて見ると、あんまり、というか、ほとんど、ない、ってことがわかる。

たとえば、自分の意識。

これは、自明かつ不変かつ永続的であるかのように思う。

けど、よく考えて見ると、ちっともそんなことは、ない。

だって、夜ふとんに入って眠りに着くと、意識は消えてしまうわけで。

われわれは、朝になれば目が覚める、ということを経験則で知っている。

だから、安心して眠りに着く。

だけど、実のところ、ふたたび目が覚める保証は、なんにもないんだよね。

眠っても夢のなかで意識があるじゃない?という意見もある。

じゃあ、夢って、ほんとうに自分の意識だって言えるのか? 

ワクチンを接種したあと鮮明かつ奇妙な夢を見るひとがけっこういるらしい、という話を聞いて、へー、と思った。

自分もインフルエンザにかかってウンウンうなりながら寝ているとき、よく奇妙な夢を見る。それと似た感じなのかな。

夢も意識と言えば意識だけど、こういうことがあるから、半分以上は自分のものではない気がするんだ。

今日の聖書の言葉

だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
ローマの信徒への手紙 8:35 新共同訳

自分は、1980年に後楽園球場で行われたビリー・グラハムの伝道集会で、二度目の回心をした。

その時もらった小冊子にあった言葉が、いまもずーっと心に残っている。

それは「キリストはあなたの意識よりもあなたの近くにいる」ということ。

最初ぱっと読んだときは、意味がよくわからなかった。

でも、どういうことだろう、と思って、何度も読み返しているうちに、この言葉のスゴサがわかってきたんだ。

自明かつ不変かつ永続的だと思っていた自分の意識が、実はちっともそんなことはなくて、ウイルスやクスリや血流障害や認知症の作用で大きく左右されてしまう。

しかも、死んだら死んだあとも意識が継続するかどうかは死んでみないとわからないわけで。。。

でも、そういう自分の意識にしがみついている必要は、ないんだ、ということを、この言葉は気づかせてくれた。

キリストはあなたの意識よりも
あなたの近くにいる

キリストの愛から自分を引き離すことができるものは、この世界にも宇宙にも、どこにも存在しない。

キリストはいつも一緒にいてくれる。そのキリストは、自分の意識よりも近くで自分と一緒にいてくれる。

そのことを信じられたら、ある意味、自分はもう自分の意識の有無とか、意識による経験のありように執着したりしなくても済むんだなー、と思う。

中学時代の自分は自意識過剰で、だから自分をみつめることによってどうにかしようと考えて、余計に苦しくなるだけだったんだけど。。。

この年になって気がついたことは、自意識過少にしろ自意識過剰にしろ、自分ではどうにもならない意識には執着しないで、いま・ここ、に一緒にいてくれるキリストに信頼していれば、それでいいんだな、ということ。

たとえ自分が変わっても、世界が変わっても、宇宙が変わっても、けっして変わらないイエス・キリストの愛に自分をゆだねていればいいんだな、ということが、いまなら、わかるんだ。

わたし(イエス)は世の終わりまで
いつもあなたがたと共にいる
 *

註)
*  Cf. マタイ 28:20

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