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秘技、ちゃぶ台返しの術。。。

昭和40年に生まれた自分は、テーブルに椅子の生活で育った。

けれど、昭和30年に生まれたひとにとっては、ちゃぶ台に畳の生活が、おそらくデフォルトだったのでは? と想像する。

ちゃぶ台と言えば、ちゃぶ台返し。。。

自分は『巨人の星』の星一徹がやるのをテレビでしか見たことがなかったけど。。。

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父親だったら、一回ぐらいはやってみたいよね、ちゃぶ台返し。。。

いや、パワハラ、モラハラ、ドメスティックバイオレンスになってしまうから、ぜったいダメです。やりません、もちろん。。。だいいち、うちに、ちゃぶ台、無いし。。。

自分の父親は、わりあい短気なひとで、よくゲンコツを食らったけど、さすがにテーブルをひっくり返すようなことは、なかったなあ。。。

旧約聖書を読んでいると、そこに描かれている神は、なんだか、ちゃぶ台返しをしまくる父親のように、見えてきてしまう。

ちゃぶ台返しどころか、世界をひっくり返して大洪水に沈めるという、とんでもない怒りようだ。。。

まあ、それだけ怒られて当然なぐらい酷いことを人類がやらかした、ということなんだろうけど。。。それを加味したとしても、ちゃぶ台、ひっくり返しすぎだよな。。。

旧約聖書を読むと、出るひと、出るひと、よくまあ、やらかすもんだな、と思う。聖人君子はあんまり登場しない。基本、やらかすひとばっかりフォーカスされてる。それに対して、神様が怒る、怒る。。。

今日の聖書の言葉。

神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。
詩編 51:3 新共同訳

今日の聖書の言葉の背景にある出来事も、やらかし案件だ。

まあ、出来事なんてもんじゃない。王様が人妻を奪い、彼女の夫である家来を、陰謀をめぐらして死に追いやるという、事件と言うべきものだ *¹。

しかも、やらかした当人というのが、神に愛され、選ばれ、祝福を受けた、詩人王ダビデだというんだから。。。わたしたち、つまずきますわ。。。

 あんなに愛されていたはずなのに。
 神に選ばれた者だったはずなのに。
 望むものはすべて与えられていたはずなのに。
 あらゆる祝福を受けていたはずなのに。

なのに、神を裏切り、家族を裏切り、隣人を裏切ってしまうひとたち。。。

それに対して、神は、いいよ、いいよ、怒らないから、好きにやってなさい、なんでも、どうでも、いいんだよ、ぜーんぶ自由だから、とは、けっして言わない。

何度でも何度でも、神は、怒りをあらわにする。大映の大魔神も真っ青なぐらいに。ちゃぶ台を、ひっくり返す、ひっくり返す、何度でも。あの星一徹すらビビッて震えるぐらいに。。。

そういうふうに徹底的に怒りを吐露した末に、神は言うんだ。。。だけど、おまえを赦すよ。やっぱり、死んじゃだめだ。生きろ。生きるために、悔い改めろ、って *²。。。

そして、悔い改めた先に開かれる、恵みの世界を見せてくれるんだ。

それは、イエス・キリストの十字架と復活による、罪の赦しと永遠のいのちの恵みがあふれる、新約聖書の世界だ。

キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。
コリント人への手紙第二 5:15 新改訳2017

註)
*1.  Cf. サムエル記下 11:2-12:24
*2.  Cf. エゼキエル 18:21-23

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