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#998 キリキリしないでミレニアムに向かう、っていう話です。

キリキリしないでカリカリしないで。。。

ゆるーく、ゆったり、相手に接しよう。。。

自分はいつもそう心掛けているつもりなんだけど。。。

今日の聖書の言葉。

恵みと慈しみを追い求める人は 命と恵みと名誉を得る。
箴言 21:21 新共同訳

でも、自分は昭和の人間なので。。。

どんなことがあっても、逃げない・隠れない・あきらめない・しがみついて・歯を食いしばって・耐えに耐えて・涙と汗と血を流してでもくらいついて放さない、ってなってしまいがちだ。。。

しかしねー。。。

もう令和の時代だから、そういうスタイルは通用しないと思う。

まあ、思ってても自分を変えるのは簡単ではないんだけどさ。。。

なーんて甘い考えで変わるのを先延ばしにしていると、大変な結果を招くことになるんじゃないかと思う。

だってさ、ミレニアム世代は、すーっ、さーっ、ぱーって辞めて行ってしまうからね ( ̄▽ ̄;)

自分はこういうふうに扱われて育って来たのだから、相手を同じに扱ってもいいはず、っていう考えは、もはや時代錯誤だと思う。

いや。時代錯誤とは思わない。相手も自分と同じに育ってほしいから、自分は自分のやり方を貫くんだ、って頑張ったって、べつにいいとは思うんだけど。。。

でも、それをやってしまうとねー。気づいたら周りに誰もいない、ってことになりかねない。

これから 5年、10年、20年と人口が減って来ると、誰もいなくなるスピードはどんどん加速するんじゃないだろうか。

そうなったら「さあ、オレについてこい!」って無人の荒野で叫ぶ昭和の世代の声がむなしく響くようになるのかもしれないねー。

よくよく考えてみると、相手を従わせるために怒鳴ったり脅したり叩いたり蹴飛ばしたりしてもいい、って考えるベタな昭和っていうのは、スキルの欠如どころではない、未成熟の人格でしかないよなー、って思ってしまう。あくまで個人の感想ですけど。。。

だって、それって、気に入らないことがあると癇癪を起す赤ちゃんみたいじゃん。。。

恵みと慈しみを追い求める人は
命と恵みと名誉を得る

今日の聖書の言葉である「箴言」は、バビロン捕囚後の後期ユダヤ教の時代に編纂されたものだとすると、いまから 2400年前の成立ってことになる。

他人に対して恵み深く・やさしく・ゆるやかに・ひろい心で接しなさい、っていう教えが 2400年前から説かれているにもかかわらず、われわれはいまようやく人類幼年期を脱する段階に来た、というわけだ。。。

だとしたら、完全に成熟した人間になるのに、あと何千年要することだろう?

すぐにでもイエスが再臨してミレニアム=千年王国が実現する、って言うクリスチャンもいるけれど。。。

でも、自分の内なる昭和を見つめれば見つめるほど、いやー、その道のりはまだまだ遠い先じゃないの? って思ってしまう。ええ、これも個人の感想です。諸説あります。

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