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ノートテイクって何? 関わり

 ノートテイクをしていた中で、僕自身が感じていたことを今回は述べてみたいと思います。 

 聴覚障がい者支援を考えていく中で押さえておきたいのが「見えない障害」ということ。車いすを使っているわけでもなく、歩行補助杖(白杖)を使っているわけではなく、見た目ですぐに分かることはない。補聴器を髪を伸ばして隠していることもある。
 また、補聴器をしているから、きちんと聞こえるわけではない。天候(気圧の変化など)や、部屋の状況(反響音)や、騒音によって聞こえ方が左右される。地下鉄が苦手だということも聞きました。そんな時には、補聴器を外して手話を使っていました。
 聞こえの状態は人それぞれ。また、補聴器は使用したくない人や、場所や状況で外していることもある。

 僕は、以前書いたように手話ができません。でも、関わっていく中で困ったことはない。もちろん「できたほうがいいな」と思ったことはありますが、書いて伝えるということにしていました。コミュニケーションの取り方は色々で、「書く」以外でも「口の動き」で理解していることもあり、なるべく正面で話すようにしていたような気がします。
 「情報保障」が大事で、なるべく情報に漏れがないようにする。その情報が本人に必要ではないとしても、周りと同じように学習できるように対応する。でも、聞きたくない情報もあると思う。

 今、自粛が続く中で、リモートワークやオンラインは聴覚障害者にとっては、プラスになるのではないかと、僕は思っています。
 電話や対面だと伝わりづらいことは、オンラインでの画面で、手話や読唇などを使うことでやりやすくなる。それで、相手が手話ができないとしても、画面に話しかけるだけで、音声入力みたいに「文字として見える化」できたらいいな、と思っています。コミュニケーションは会話だけではないしね。

 どんな障がいでも、知識だけあっても、きちんと接していないと分からないこともある。そういう時の方が多い。「きちんと」と書いたのは、真面目に本人と話して、人と人としての礼儀を踏まえたうえでの関係性。そんな関係性が苦手と言う人もいるけれど、お互いに微かな所作や態度で見れば分かる。それは、聴覚障害だからではなく、大切なマナーだからね。

 「できないこと」は周りが決めるのではない。本人ができないことを自覚して、そのことを支援する。

 でも、時々思うことがあった。

 「僕たち(ノートテイカー)が行なっていることは、本人の得られる情報を混乱させていることもあるのではないか」
 「ノートテイカーによって、ばらつきのある文字や能力で困ることはないのか」と。

 「助かっている」とは言われていたが、はたから見ると、利用者によってもノートテイカーの好みがあって、信頼と言うか安心していることもある。僕もテイカーとして、ふとした瞬間に利用者を見ると、真剣な顔、ちょっと困った顔、飽きている顔などがある。でも、それは普通の学生の顔。

 自分にとっては、ノートテイクは「聴くこと」「書くこと」と向き合わせてくれた良い経験でした。集中力・・・それも「脳」と「手」での違うことの発見。また、自分の努力で人の役に立てる。そして、今につながっていると思う。
 今でもきちんと「聴くこと」「書くこと」に向き合えているかな?

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