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「第三者」は必要です。。


 福祉というと「限られた人たちだけ」で頑張っているように見えているのではないだろうか?

 ただ、話し合いや支援をしていく中で、福祉の視点ではない「第三の眼」が必要な時がある。その存在自体が利用者にとっては専門職以上の支えになっていることがある。

 ここでの「第三者」は、どんな人を言うのだろうか?
 友人? 隣人? 腐れ縁?
 といっても、本人にとってプラスになっているかは分からない。
 大切な人だけど苦手な人、口うるさい人、貸し借りがある人なども「第三者」になりうる。

 また、関わりを持っていく中で福祉に興味が出てきて、介護職員や相談員・支援員になっていることもありうる。だからといっても、「第三者」として関わるから、福祉職ということは表に出さずに話し合いにも参加してくる。
 だったら、支援員として「福祉としての関わり」に入ればいいのではないか、と思うかもしれないが、本人は望んでいないかもしれない。
 「福祉としての関わり」というよりも「友人としての関わり」を重視している。

「第三者」の思い

 支援や生活に関する情報を得たい時、話を聞きたいと思う。
 だけど、好意的に関わってくれるとは限らない。

 聞いたこと「には」答えてくれる人
 不満に思っている人
 連絡が取れない人
 心配しているように見える人(本人のことは無関心)
 というように様々である。

 また、本人と関わってきた期間が長いから、知っていることが多い。そのことは、個人情報にも関わってくることもあるから、ペラペラ話してくれるとも限らないし、「話さないでくれ」と止められているかもしれない。
 「本人の支援のため」と聞いているものの、何だか納得できずに関わっていることもありうる。

 いざ、話し合いに参加してもらう。

 本人のことを心配するがあまり、言わなくてもいいことを言ってしまったり、話している内容が理解できずに、話せずに終わってしまうかもしれない。

気をつけたいこと

 僕の経験で書いてしまうが、支援会議を開催するときに、第三者にも参加してもらおうとする時には、話し合う内容は気をつけないといけない。
 福祉サービスの調整を中心とした会議(サービス担当者会議)ではなく、本人の支援をするうえでの役割分担や支援の留意点を話し合いの中心にしないと、第三者に参加してもらう意味がなくなる。
 だから、第三者にも参加してもらう時間と、サービス関係者で「会議」として行なう時間というようにずらしたり、参加者を変えてみたりする配慮が必要になる。また、こんな会議に参加する機会は多くないから、緊張しないように、ゆったりとした雰囲気でできたほうが良いと思う。話し合う内容が深刻な内容になってしまうかもしれないが、話しやすいようにできたらいいかな。

 しかし、「サービスの調整」ではないにしても、サービスについて第三者から意見が出てくるかもしれない。そこに対しては、「できること」「できないこと」を説明していかないといけない。そこで、専門用語や堅苦しい話になってしまわないようにする。

最後に、

 第三者には、利用者本人の生活を支える「ネットワークとしての一員」であるし、サービスを使う上での「監視役」でもあるし、本人の「心の支え」にもなってくる。
 ただ、そんな難しいことは言わずに「これまでと同じように友人としての付き合い」をして欲しいと思っています。福祉サービスのことで気になっていることがある時には相談できる、本人が困っている時にはできる範囲でお手伝いをする、ということが利用者としても第三者としても継続して、関われる方法だと思います。

 話し合いをして、おしまいではない。

 支援者の意見だけで、第三者の意見を聞かず、排除することのないようにしていきたいですね。

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