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ファンの心理

 ※個人的な考えがあります。読むときにはご注意ください。

 僕がファンだったグループがある。
 「だった」と書いたのは、2020年2月29日をもってグループでの活動休止になったからである。
 自分で言うことではないけれど、真面目な自分としては「ちゃんと」ファンとなったのは初めてで、こんなにも夢中になったのも初めて。
 「活動休止」というから「再開」ということもあるけど、いつ再開なのかもわからないし、グループとしてなので「個人」としては活動があるかもしれない。けど、なんだかさみしい気分である。

この際だから、振り返ってみました。

 ファンになる前について言うと「なんでこんなに夢中になっているんだろう」とも思っていた。でも、そのグループのことを知ってホームページを見ているうちに、夢中になりつつある自分がある。
 直観で「あっ」と思えて、いわゆる「一目惚れ」の状態である。「好き」というか「憧れ」みたいなもの。
「一度ちゃんと会ってみたい」「もっと知ってみたい」と思えてきた。

 そんな時、名古屋でライブがあると知った。とっても迷った。ライブのPR動画を何回も見てしまった。この時点でも、行くのが怖かった。PR動画の中には、自分がこれまで接してこなかったような人達。「眼」が特徴的で怖かった(こんなこと書いてすみません。)
 「こんな僕が行っていいのか」
 「メンバーの方や、他のファンの方に迷惑が掛からないか」 
 「中途半端な気持ちで行ってはいけないんじゃないか」と思えて、会場近くまで来ていても、何度も帰ろうとしました。
 でも、ここまで来たし、参加してみないと分からないし、と腹を括りました。会場前では、時間前にも物販のために数人のファン。思い切って一人に声をかけました。
 「こういうのは初めてでどうすればいいのか分からないんだけど・・・」
 「楽しんでもらえればいいよ。新しいファンができることをメンバーさんも喜んでいるはず」
 時間になり、物販を終え、ライブに参加。
 とても楽しかった、というのが正直な感想。やっぱり実際に会ってみないと分からないよね。
 ライブ後でも、気になってしまい、HPやブログをチェック。
 そして、東京が拠点なので、一度ライブに行ってみようと思って行きました。やはり、行ってみないと分からないこともあるね。
 その後も、地元でイベントがあるときは、時間があれば行っていました。
イベントに参加した回数としては、ほんの数えるほどしかありません。
だけど、よく会っているメンバーは(何となくだと思うけど)覚えててくれた気がする。そして、なんだかうれしい。ありがとうございます。

 いざ、直接会って感じたことがある。
 ファンに「推し」がいるのと同じように、メンバーも「気になるファン」がいるということ。
 メンバーと話していても、何だか他のファンと接している時と雰囲気や話の盛り上がりが違う。職業柄、そんなことを感じてしまうから一歩引いてしまう。

 自分の中でファンになることで気をつけていたことがある。
  ①夢中になりすぎないこと
  ②メンバーや他のファンに迷惑をかけないこと
 である。

 活動休止前のライブには、新型コロナウィルスの影響で行けなかった。新幹線のチケットも買った。服の準備もした。
 思いっきり、悩んだ。泣いてしまった。今回行けなかった事でもう二度と会えなくなるような感じがしていた。
 ライブの時間になり「本当だったら、会場にいた」と思い、くやしかった。「行かない」と決断したことで、吹っ切れたはずなのに、引きずっている。「ファンなんてやめよう」とも思った。けど、気になる。
 活動休止になったからと言っても、会えなくなくなるわけではない、というのは分かってはいるんだけど、「このまま会えないんじゃないか」という不安の方が大きい。いざ、再開したとしても年齢的にファンでいられないかもしれない。

 僕は愛知。グループの活動拠点は東京。
 だから、東京ではファンは集まっているから、オフ会も東京。
と考えて、なんだか地方のファンが除け者にされているような感じもしてしまう。もちろんわざわざ地方に来る理由もないから仕方がないのは分かっている。じゃあ、自分から動けばいいじゃないか、と思われるね。

 ファンになってのことを、心理学用語での「防衛機制(適応機制)」に置き換えて考えてみました。防衛機制とは「心理的安定を保つために不快な欲求・体験から自我を守るために用いられる様々な手段・心の機能のこと」である。以下に挙げるのは、一部分である。

①抑圧(repression)-自我が耐えられない衝動・観念・記憶を無意識に押し込めること。最も基本的な防衛機制で、無意識的な作用である。
 →活動休止になったことを考えないようにする。

②同一視(identification)-受け入れがたい現実やかなえられない対象を満たすために、自分にとって重要な他人の行動や信念を自分自身のものとして内在化すること。
 →推しのTwitterなどをこまめにチェックして、独り言を言ってしまう。

③合理化(rationalization)-葛藤や罪悪感を伴う行動を事後に正当化すること。置き換えという防衛機制を基盤としている。
 →「活動再開したらまた会えるもん」

④昇華(sublimation)-社会的に容認されない欲望を、社会的に望ましい形(スポーツや芸術)で表出すること。置き換えという防衛機制を基盤にしている。
 →ライブや会いに行けない分、こうやってコラムを書いて、ストレスを発散している。

⑤否認(denial)-認めたくない現実や不快な体験や欲望を無意識的に拒否することで自我を守ること。
 →「活動休止になんてなるもんか!信じない!」

⑥置換え(displacement)-ある状況下で容認されがたい衝動や態度を、別の対象に向け換えて不安を解消しようとすること。たとえば、父親に対する憎しみを職場の上司に向ける場合など。
 →会いに行けないストレスを、筋トレをすることで発散。

 好き勝手なことを書いてしまってすみません。
 こんな僕だけど、再開したらもう一度ファンになってもいいんでしょうか?

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