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韓国(釜山)の思い出

昨日のnoteを書いていて、40年近く昔に韓国へ旅行したことを思い出したので、少しその時のことを書いておきたい。


大学時代に父の付き添いで韓国釜山へ行ったことがある。
はじめての韓国旅行、それは僕にとっては初めての海外旅行でもあった。

釜山は韓国南部にある第2の都市。
父の父、つまり僕の祖父は警察官で日本が韓国を統治していた時期に釜山に駐在していた。
父も幼少期は釜山で過ごしており、太平洋戦争に日本が敗戦した後、逃げるようにして大阪まで戻ってきたらしい。

そんなことがあるので、父にとっては第2の故郷みたいなところもあったのだろうか。
しかし、その後の父の韓国への、特に韓国女性への入れ込み方はそれだけが理由ではなかったかもしれないけれど。

そんなことで父にとっては里帰りの意味もあったのか、今となっては真意を聞くこともできないけれど、とにかく母と3人で韓国釜山へ旅行をした。

ソウルオリンピックを1−2後に控えて国全体が盛り上がっていた頃。

行かなかったソウルはきっと都市開発が進んでいたんだろうが、まだ釜山は昔のままの韓国の街並みだったのかもしれない。
表通りから一本入ると、瓦礫がいたるところにあるお世辞にも綺麗だとは言えない古い街並みのままだった。

百貨店も昭和初期の香りがしていた、まぁレトロ(という言葉はなかったけれど)だったし、
レコード店もカウンターの奥に商品が陳列してあって、自由に商品を手にとって見ることはできなかったような記憶がある。
韓国の音楽のレコードが欲しいというと何枚かのLPを渡され、帰国してから聴いたらレコードの穴が真ん中に空いていなくて、ゆらゆらと音が揺れて気持ち悪かったこと。
音楽自体はなんだか歌謡演歌みたいな曲ばっかりだったこと。

タクシーに乗ると「イルボンサラミ(日本人か)?」と訊かれたので、
「No, I am Japanese American」というと急に態度がよくなった運転手。

チョーヨンピル(当時日本でも「釜山港へ帰れ」という曲が大ヒットしていた韓国の人気歌手)のコンサートがあるからと連れて行かれた少し大きめのディスコのようなナイトクラブらしき店。
アップテンポの演歌歌謡で観客がノリノリだった。

キョンジュ(慶州)へ観光に行った帰りの高速バスで偶然に隣の座席になった女性に釜山を案内してもらったこと。
ミス釜山になったことがあるという同じ歳のきれいな女性だった。
帰国して何度か手紙のやり取りをした。
結婚してアメリカのフィラデルフィアに行くんだという手紙が最後になった。

はじめて行った外国が韓国でそんな体験を色々とした。
どこか昔の日本のような景色だし、人も似ているようで、だけど違う。
話す言葉が違う。街中の看板も見たことのない記号のようなものばかり。
(ハングルという文字があると知ったのはその時)

当時は一部の新聞や専門書は、漢字混じりの方が表現しやすいということでまだ残っていたが、国としてはハングル文字に統一するという政策が進めれられている頃だった。

そんな、これまでとはある意味で異次元の世界を垣間見てとてつもないカルチャーショックを受けた。
そして、やはり韓国はなんだかものすごく活気に溢れていた。

当時の僕はまだ20代前半なので、影響も受けやすかったのだろう。

帰国してから、韓国の文化について書かれた本を山ほど買ってきて読んだ。
ハングル文字も勉強して一通りは読めるようになった。

そんな風に隣の国のことについて勉強していると、自分の身近にも韓国(もしくは以前の朝鮮)に縁のある人がたくさん暮らしていることも見えてくる。
大学の同級生にも朝鮮籍の人たちがいた。
いや、いることに気付いた。

彼らの一部は日本の国籍を取得して本名として日本名を名乗っていたり、
または、通名としての日本名を名乗っていて、
「俺、ほんまはあっちでは〇〇ていう名前やねん」
と教えてくれる人もいた。
むしろ成人してから通名だった日本の名前ではなく、朝鮮の本名を名乗るようになる人もいた。

それが日本とは違う他国のことに興味を持ち、知り、勉強することで、偏見もなくなっていくことだと思う。

人は知らない物事に対しては警戒心を抱き、それが故に敵対心を持ちやすくなってしまう。

最近の若い人たちの内向きの感じ、日本の音楽や映画だけを見ていればいいし、
海外の文化には興味がなく、外国にも旅行なんてしたくない。
皆がみなそうだとは言わないけれど、そういう風潮ってある意味で危ういんではないだろうかとも思う。

異文化に触れることで、自分たちのことも色々と見えてくる。
良いところも悪いところも。

せめて、インバウンド景気で海外からの旅行者が大量に入ってくることで、街へ出ればたくさんの海外の人に出会う機会はあるかもしれない。
だけどそれと、自分からあちらの環境に飛び込むことはやはり違うんだと思う。

なんか、そんなことをつらつらと思い出して書いてみました。

〈了〉

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