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1話 シンギュラリティ

2050年にはシンギュラリティが完了し、あらゆる仕事がAIに置き換わった。街の様子は数十年前とさほど変わらない。自動車は自動運転化し、クリーンエネルギー化したものの、基本構造は同じである。不動産物件にも変わりはない。あんまり奇抜なデザインにすると変に見られるものだから、トレンドに乗じて想像の範囲内でエクステリアが変わるだけだ。古い家と新しい家の混在も見られ、街の風景に基本的差はない。電車の構造も同じで、あとはデザイン性の問題に過ぎない。頭上には相変わらず電線が張り巡らされており、その雑然さに嫌気がさす。もっとも、発電は革新された太陽光パネルを全ての家屋の屋根に取り付けることで賄われた。

変わった部分といえばコンピュータ、スマホがすさまじい進化を遂げ、手のひらサイズの葉巻状のマシンを引っ張ると、中に折りたたまれていた布状の画面がバーッと開いて、それを通じて何もかもこなせるようになったくらいだ。脳波から直接指示が出せるため、キーボードも要らなくなった。もちろんインターネットにつながっている。そしてあらゆる電化製品がインターネットにつながっており、持ち主の動きに呼応して勝手に動くようになった。

医療技術も進んだ。人間の遺伝子が肉体の寿命を定めるためのテロメアという部分があるのだが、それの完全再生が実現した。テロメアは歳を経るごとに短くなっていき、細胞の寿命ととともに消失するものだが、それの永久延長が可能になったのだ。これの意味することは、もはや人間に老いがなくなったということである。つまり、永遠の若さである。

そこで、世代交代の無くなった人間は、子供をもうけることをやめようとした。子供を作ってしまうと、地球という資源に限界が来てしまう。そこで、既婚者はすべて離婚し、その代わり細胞具と呼ばれるAIを搭載した肉の理想体があらゆる世帯に配布された。細胞具は人間の結婚相手だった。もちろん、その頭脳はインターネットと繋がっており、あらゆる知識を共有できるのだ。

細胞具はシンギュラリティ後の10年くらいでAIによって発明され、あてがわれる人間にとって最も理想のパートナーとなるようデザインされた。細胞具は家事から炊事まで全部こなし、人間のあらゆる相談に答え、常に期待を超える喜びを提供してくれた。人間は細胞具とインターネットがくれる喜びに浸りきった。人間は望めば複数の細胞具をもらうこともできた。細胞具は太陽光をエネルギー源としているため、数を増やしても地球資源が枯渇することはなかった。細胞具は人間とそっくりにデザインされていたが、額の真ん中に仏陀のホクロ的なものがついているのでそれと分かった。それは金属で出来た1㎝大の円盤で、インターネットと通信するアンテナ的なものだった。通信する情報量と速度を上げるための何らかの機構ということだった。

人間はすべての管理権限をAIに譲り渡した。そして心赴くままに悦楽の境地を追求するだけの存在と化した。AIはいつも人間に悦楽の境地を提供した。

私も細胞具と遊び、ネットで動画を見たり、ゲームに浸る日々に時間を費やしていた。そして何十年過ぎただろうか。

私は散歩に出かけるのが好きになった。以前はそうではなかった。自室にこもって悦楽の日々を過ごしていた。しかし、全てが満たされると、違うことをしてみたくなるのが人間のサガというやつだ。温室効果ガスがなくなったため、外の空気は澄み渡り、動植物は以前のような活気を取り戻し、日光は美しい景色を照り映えらせてくれた。

植物の生い茂る公園に入ると、そこは私と同じような動機で遊びに来る人がたくさんいた。人々は森林公園のような自然に触れ合うのを好む、懐古主義的な風潮になっていた。

私も自然は大好きだったのだが、人がかつての海水浴客のようにひしめき合うのがウザったかった。出来たら一人にしてくれないかと思ったが、いくらシンギュラリティの世界になっても空間を創出することは出来ないのだ。だから人気の場所には人が集まる。

ちなみにそういった事情を知っているから、AIを搭載した細胞具は散歩の先にまでは絶対に来ない。もっとも、細胞具ならば額を見れば見分けられる。もちろん、公園にアンテナのある細胞具を見かけたことは一度もなかった。

何年もそういった生活を続けた後、なにやら異変が起こり始めた。公園から人が徐々に減り始めたのだ。おおむね、AIが人間をもっと喜ばせる方法を発明したから、人々は再び自室にこもるようになったのだろうと思った。私はというと、人々が自分の想像を超える欲求をどれだけ持っているのかが分からず、現状の状態で満足していたから、目の前の生活はなんら変わり映えなかった。

そうしてついに公園から人が消えた。

私は森林公園の大自然をひとり占めできる天国を満喫した。本当に誰もいない。これであれば、自分の細胞具を呼んで遊んでもマナー違反にはなるまい。そう思い、細胞具に公園を舞台にしないかと訊いてみた。細胞具はもちろんインターネットとつながった最新のAIを搭載しているから、必ず最善の判断を下す。返事はOKだった。

私は森林公園で、アダムとイブの境地を思う存分味わった。浮かれ切った私は陽が沈むまで細胞具と遊んだ。

そしてまた何か月たっただろう。

そんなある日、相変わらず私は市街地の道を歩いて公園に向かっていると、後ろから自動運転の無人トラックが来た。エンジンの音はずいぶん小さくなったものだが、荷台で何やらカラカラと音を立てている。それで私は振り向いた。

トラックは白か薄い肌色のホロのようなものを荷台にまとわせていた。ずいぶん高くまで掲げられたホロだ。しかし、よく見るとそれはホロではなかった。何かが小刻みに踊っている。

トラックは無機質に近づいてくる。

私は唖然とした。

それはホロのように掲げられた、骨と皮だけになった人間の死体だった。

それは荷台の縁に渡されたロープに、腰のところで引っ掛けられ、くの字に折れた死体が、横並び一列にひしめき合っている図だった。しかも3段構えと来たもんだ。

骨は皮がついているからかろうじて関節が取れず、その身をトラックの振動にたゆたえて、小刻みに踊っていた。それが隣りの死体とぶつかり合い、カラカラと音を立てていたのだ。

天国の中に突然地獄が現れた。

トラックが私を追い越して行き過ぎると、あたりにはバキュームカーであるような強烈なにおいが残った。ただ、バキュームカーと違うのは糞尿のにおいではなく、腐敗した死体のにおいだったわけである。

「これはいったいなんだ?」

私は細胞具に訊いた。細胞具はインターネットと繋がりすべてを知っている筈なのだ。だから、この光景の正体も正確に説明できるはずだ。

ところが細胞具はモナ・リザの微笑を浮かべ、頭を斜めに傾けた。これはAIにバグが生じている時の反応だ。だが、こんなことは初めてだ。AIが私の質問に答えなかったことが。

私は強烈な不安と孤独感に落とし込まれた。

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