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花盛ミーティングウィズ劇団ソクセキ

劇団ソクセキ第五回公演
『PHOENIX』本番まで、あと2週間となった。
1年ぶりの舞台、最初に立つのは絶対ソクセキがいいと思っていた。

劇団ソクセキとの出会いは、大学2年の夏。
当時演劇部に所属していた中学の同級生で、今回もソクセキに参加しているあきたやともかがライブ配信を観にきてくれて、今も演劇をしていると言ったのがはじまりだった。

その後彼女に誘われて観に行ったのが劇団ソクセキの第二回公演「BEST ONE」だった。
演劇部の高校生たちが、審査員の好みとか自分たちのやりたいことや好きなこととか、仲間との絆とか、己のアイデンティティとか、いろんなものに取り囲まれてそれぞれ葛藤する。
私は中学生のころ吹奏楽部だったが、その部活の状況と舞台の演劇部の状況がよく似ていて、共感した。ちょっと泣いた。
3回公演の「Legacy」は動画で見た。
超絶怖い特大権力持ちの元顧問の権力の持ち方や怖さの種類が小学校の時のブラスバンドの外部講師によく似ていてリアリティがあって、劇中の演劇部員たちに共感が止まらなかった。その先の展開を見て、「ああ、自分たちのところもこうだったら良かったのに」と思った。

ソクセキの劇は学生時代に誰もが負う挫折や葛藤や、傷なんかを「そうだよね」と認めて、今の未来に少し明るい希望を分けてくれるようだと感じていた。

そしてその後少し空いて、ソクセキの4回目の公演が決まった時、ともかがもしよかったら一緒にやろうと声をかけてくれた。
彼女は私が中学の時、「本当は演劇部に入りたいと思っていた」と言っていたのを覚えていてくれた。

そのときの私は養成所にいた。

大学3年生に上がるとほぼ同時に入ったものの
環境があまり合わず心を病んでしまい、レッスンのたび精神安定剤を過剰摂取するようになっていた。

養成所の講師の一人が
「芸能界はみんな病んでいる」と言った。
だから、病んでいる今の状態が普通で、
こうならないのは努力が足りない証で、
私は頑張っているからこうなっているので、
だから成功できる大丈夫と自分を鼓舞していた。

今考えると洗脳に近い状態で、
おかしかったと思う。

養成所で抜きん出たくてダブルで通い始めていた演技スタジオのポジティブなスタイルに励まされ、不健康な精神状態で役者を目指し続けることに疑問を持ち始めていたころ、ついに薬が原因で玄関先で倒れて養成所を辞めた。

その直後のタイミングで、ソクセキ第4回公演の顔合わせが始まった。
才能ないし、下手だし絶対無理だしと卑屈になって諦めて、心はもう完全に折れてしまっていたのだが、誘ってくれた友人の手前断れなかったところから私はソクセキに参加し始めた。
第4回公演時のソクセキのメンバーは
当時もと高校演劇部員の大学生と、
脚本演出を手掛ける遠藤先生を中心とする
県内のとある学校のOB、その知り合いの社会人メンバー数人という構成だった。
ほとんど全員が高校演劇経験者で、知り合いも中学の同級生であるともかしかおらず、私だけが完全にアウェーだった。

正直怖かった。
ほとんど演技経験はなく、初心者と言って差し支えなかった頃のことだ。
いじめられないか、嗤われやしないかとずっと怖くて、配役決めのために指定された部分のセリフを口の中で唱えながら電車に乗り、会場に向かうと、それはもう和気あいあいと顔合わせが始まって、肩透かしを食らった。

皆、演劇が好きだった。
皆、本気で楽しんでいた。
好きなこととして楽しんでいた。
誰かを蹴落とそうとか、自分が目立ちたいとか上に上がりたいとか誰かを見下すとかそういう思いは一切みえなくて、逆に驚いてしまった。
私が役者を目指そうと思ったきっかけも、本来そういうもっとキラキラした憧れだったのかもしれない。

演技スタジオでも、いつもコーチは「楽しんで」と言った。
演じることを楽しんでいる人、ワクワクしている人が強いんだよ、とそれはとても力強く。
それは練習の場だからであって本当は違うじゃないかと心のどこかで思っていた。

ソクセキと出会って心から楽しんでお芝居をしている人たちを見て、
「お芝居って本当に楽しんでいいんだ」
とその時知った。

やっぱり、お芝居を続けたい、と思った。
毎週の稽古が楽しみだった。
平日フルタイムで働くメンバーも多いので土日が稽古で、学生組を含め土日仕事をしなければいけないメンバーもいて毎週集まれるわけではないので、ソクセキの稽古は期間がとても長い。
社会人の参加メンバーそれぞれに仕事の遍歴や演劇との出会いなどを聞くと当然皆それぞれバラバラだったが、もともと表現活動が好きというのは全員同じで、音楽やお笑いなど演劇以外の他のジャンルとも関わりを持っていた。

趣味としてやっていくのもいいじゃないか

そう思って、大学3年の冬、
ソクセキの彼らに憧れて就活を決意した。

その時既に決まっていた舞台で予定はそれなりに埋まっていたが、稽古に出ながら就活をした。
結果は以前芸名の由来を書いたnoteにも書いたが散々なものだった。
そもそもこの時の就活も、元はと言えば
ソクセキのメンバーの影響だったのである。

就活失敗した時して人生詰んだと絶望した時にfemtoと出会って今があるが、
実はその前に心折れたタイミングてソクセキさんに持ち直させてもらっていたのである。
いい出会いに恵まれてきたものだ。

ソクセキとの出会いのおかげで、
私は役者として立ち直ることができた。
ODで養成所を辞めた時、全てを諦めていた可能性もあった…し、もしあのときソクセキの参加を断っていたらそうなっていた。

演じることを、演劇を、心から楽しんでいいんだと教えてくれたのは劇団ソクセキだ。
この団体との出会いがなければ、いまも心は養成所のレッスン場があった都内のビルの9階にある練習場だったかも知れない。
そうしてたまに安定剤をODしながら、
鬱屈としながら働いていたかも。

そんなわけだから、ソクセキとの出会いがなければ今の花盛まことは存在しえないのである。

一年間俳優としての活動を休止して
毎週撮影会に出ていたところから
役者として復帰して再び舞台に立つのなら、
最初は絶対ソクセキがよかった。

というわけで、みんな、修学旅行行こうよ
✈️
劇団ソクセキ 第5回公演『PHOENIX』ご予約
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花盛まことは5日夜のみの出演だが、
私をソクセキに誘ってくれたあきたやともかは
6日の回の出演となっている。

彼女は中学の頃から最高だったし、
6日のみに出演する他の役者も全員最高なので
よければ6日もご観劇検討いただければ、
そしてソクセキのファンになってくれる人が一人でも増えたら、私はとても幸せだと思う。


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