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まことバザーの余韻のなかで

人が集うことの楽しさ

 10月30日、晴天にも恵まれ、3年ぶりにお客様を招いての「まことバザー」を無事終えることができました。お忙しい中でご協力いただいたバザー委員と保護者有志のみなさま、ご来園いただいたみなさま、本当にありがとうございました。みんなで力を合わせ、また様々な人にご参集いただけ、あのような楽しい時間が過ごせたのだと思います。
 準備から大わらわだった行事ラッシュはひと段落。しばらくは日常の園生活となります。

楽しいバザーになりました!

「いつもの大バザーではない」とはいえ、そこは3年ぶり。2022年のまことバザーは在園児・卒園児の家族でにぎわいました(子ども用に200枚準備した『このひとをさがせ!』のカードがあっという間に品切れ、増刷)。社会人から小学生までたくさんの卒園児が集まってくれたのは、本当にまこと保育園らしい光景でした。職員の喜びようといったら! 久々に会う人同士旧交を温め直す様子を見て、あらためて「実際に」人が集まるのには大きな意味があると感じました。

 また、すてきな手作り品やおいしい手作りお菓子など、様々な人が手間を惜しまず作ってくださった商品が並んでいるのも、多様性の現れとしてまこと保育園・キッドスクール・愛の園・ライト学童らしさだと思います。聖救主福祉会そのものだけでなく、ご協力いただける人すべて「まことファミリー」と勝手に呼ばせていただくのも、こんな光景あればこそ、なのです。

深川愛の園のコーナー

 ご存じのとおり、バザーの語源はペルシャ語のバザール=市場ですね。以前、深川えんみちで行われたマルシェに触れた原稿で、私はこんなことを書いていました。

市場と書いて「しじょう」と読むか、「いちば」と読むか。よく言われていることですが、シビアなビジネスの場としての「しじょう」からは人情はあまり感じられません。「いちば」であってこそ、心の通った交流が生まれます。
今回の暮らしの市場は小さなマルシェでありますが、確かな「いちば」であって、さまざな世代の人がいました。マスク越しであっても、話し声や笑い声が聞こえてきました。街に流れるにおいを感じられました。

まこと保育園note

 バザーもマルシェも「いちば」です。人との出会い、モノとの出会いにときめくことで、その場でしか味わえない交流が生まれる。ささやかな非日常の空間ではありますが、大人も子どももリラックスして楽しんでいる姿を見て、バザー委員も職員も「開催してよかった!」と喜びを噛みしめています。みなさまから寄付していただいた商品で成り立つバザーなので、収益金は社会へと還元しています(今年は『こぴあクラブ』へ寄付いたします)。この循環が少しでも地域のためになることを願っています。

 そして、こうしたリアルな場を設けること、他者への助け合いの気持ちを表明することもまた、「コロナ禍であらわになった分断に抗うこと」なのではないでしょうか。


園庭もバザー会場に。中庭=城塞都市のバザール感!
いつもの保育室が売り場になった!
売り子の職員も変身中。でこぼこブラザーズ。
職員も非日常を満喫!

行事で日常を切断する

 バザーに限らず、おそらく行事にパワーをかけ(られ)る園の数は減っているのかもしれません。職員の働き方や保護者との関係性など、要因はいろいろあると思います。まこと保育園は、職員の数も多く、保護者のみなさまの協力も大いに得ることができる環境なので、「ここぞ」という行事には時間・労力を投入できています。とても幸せなことだと思います。

 ただし、日常保育と離れてしまっては、行事とは名ばかりの単なるイベントで、大人の満足だけで終わってしまうかもしれません。でも、そこに子どもが参加できる余地があれば、バザーという非日常も日常保育の延長線上にあります。
 子どもたちなりに、まことバザーの目的を理解して「たくさん作って、たくさん人の役に立ちたい!」と「アメ玉のレイ」や「クリスマス飾り」などを一生懸命作る姿が見られました。チャリティという目的意識だけでなく、自分たちが作った商品が完売すれば、子どもたちだって達成感を覚え、うれしいもの。
 また、ふだんの保育室が非日常の空間に大変身した様に、心躍らないわけはありません。

アメ玉のレイはまこと保育園のバザーの名物のひとつ
マカロニを用いたクリスマス飾り

 大人にとっての行事=非日常にはどんな意義あるのか考えてみました。
 非日常は祝祭感だけを指すのではなく、日常の業務(ルーティン)を切断する日と考えてみるとどうでしょう。
 「ふだんどおり」の影に隠れていた、意外性に満ちた「仕事」や「適正」が待っていて、楽しいものだと気づきます。職員にも発見や学びがあり、自分自身を見つめ直すきっかけにもなるわけです。
 たとえば、私は普段はデスクワークで、作るのは文字と数字の書類ばかり。ところがバザーでは、思いがけずイラストを描くチャンスをもらい、さらにまわり職員に絵を褒めそやしてもらえて、私もいい歳(40ウン歳)ですが、とてもうれしい思いをしました。
 これはバザーという行事に向けてふだんと違う役割や仕事をもらえ、それに対する評価を得ることができた事例です。事務職の身でイラストを描くなんて、ルーティンや決められた役割の中では必要とされません(ふだんの生活で『絵を描くのが好きだ』なんて言う機会はあまりないですもんね)。

 これを一人でやっていても、周りからは新たな個性は「発見」されません。いつもの集団が日常から切断されたときにこそ、「知られざる側面」が出たりするのです。
 さらに、その切断がルーティンと再接続されたとき、お互いの捉え方が変わる(あるいは変わりやすい)のではないでしょうか。

 なので、行事に力を入れると子どもが楽しいだけでなく、大人にも大きな意味があると思います。これは保育園のような集団に限らず、旅先などでの家族に起こる役割の変化とその効用にも当てはまるかもしれません。

 次はクリスマス礼拝が待っていますね!


行事を終えた職員の晴れやかな顔(これは運動会のあとです)

(文・まこと保育園 渡邉)




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