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私が真の日本文明を悟り知るまで

私は今、デジタル認識技術nTechと出会って10年目となった。

10年前の2014年、九州大学の大学院生だった私は鬱の絶頂期だ。

私は建築を学ぼうと大学に入ったが、大学3年生の時には建築への興味を失った。

建築家のクリエイティブな感じが憧れだったが、実際学んだり設計図を描いていくうちに、自分にはそこまで熱情が無いことに気付いてしまった。

だからといって、そもそも自分が何をやりたいかなんて分からない。

ただ社会の事を何も知らないのに、建築という狭い業界の中で就職を決めてしまうことも嫌だったので、就職活動は幅広い業界にエントリーしていった。

広く様ざまな業界に触れれば自分のやりたい事が見つかるかもしれない、と淡い期待があったが、実態は余計に分からなくなるだけだった。

さらに東京でインターンシップをしたとき、あまりの競争の激しさに狼狽えた。

露骨な蹴落とし合い、優秀な人との圧倒的な差、明確な序列、就職活動での敗者が涙しながら去っていく姿は今でも忘れない。

現実が厳しいことが分かったが、競争社会に違和感しかなかった。

自分の中の疑問、違和感の正体を突き詰めるため、大学院に進み、もっと人間と人間社会の本質を学ぼうと決意した。

大学院1年生は大学から飛び出た。大学の中に答えは無いと思ったし、建築に興味が無い私は大学で何をしたら良いかわからなかった。

そして北海道へ自給自足の生活をしたり、熊本の森で暮らしている人に会ったり、インディアンの人に会ったり、哲学者の人と話したりした。

バリバリの競争社会の中で生きている人もいれば、社会から一歩引いて、自給自足の気ままな生活をしている人もいた。

会社に入って働く生き方しかイメージになかった私は、田舎で自分で畑をやったり家を作ったり、楽器を弾いたり、歌を歌ったりして楽しんでいる人達を見て、それもありだなと思った。

それと同時に、世界の姿、日本の姿がどんどんとみえてきた。

資本主義社会は人と人との間に圧倒的な格差を生む。

一部の人間に権力と資本が集中し、その一部の人間の思惑通りに世界は動かされてしまう。

私はピラミッドの下層におり、上層の人によって実質的に支配されているともいえる。

でも下層にはさらに下層があり、そう思うと日本はまだ良いほうだろう。

そんな世界観を知った時、残酷だと絶望した。

共産主義があれだけ広まっている理由が分かった。

そして日本の上にはアメリカがいる。

陰謀論のようなものもバカにできないと思った。

社会に絶望した後、そんな社会に対して自分は何もできないのだとさらに絶望した。

こんな力の無い、ちっぽけな自分が何かできるはずもない。だから、社会がどうとかを考えても仕方がない。

この社会に自分を合わせて、歯車として生きていく以外に道は無いと思った。

ついでにこの時期に彼女にも振られた。

そして私は何をしたら良いかわからなくなった。熱中できるものもない。人間社会の本質を学ぶと絶望する。恋愛もうまくいかない。

生きる気力が湧かなくなり、鬱になった。

1日を何をして過ごせば良いのか?何を考えれば良いのか?何をやってもつまらない。

ただアルバイトをしながら時間をつぶしていく日々だった。

この悩みを人に打ち明けても、考え過ぎと言われた。

もう色々諦めるしかないかと思い、漫然と日々を過ごしていたときに、認識技術nTechと出会った。

10年前の2014年、この時から人生が大きく変わり始めた。

この技術とこの技術を学ぶ人達と交流した時、これまでとは違うと思った。

私の悩みに対して、考え過ぎ、考えるなとは言わなかった。全て真正面から回答された。

現実はなぜこんなに悲惨で残酷なのか?
なぜこんなにも格差がある社会が生まれてしまうのか?
どうすれば絶望をひっくり返して希望ある社会に変えられるのか?
私はどうしてここに悩むのか?どうしてやりたい事が見つからないのか?
人間とはそもそも何なのか?現実とは何なのか?
どうすれば本気で熱中しながら生きることができるのか?

ありとあらゆる疑問をぶつけた。

これまでも自分なりに哲学や宗教、さまざまな人の思想を学んできたが、そのどれとも違った。

哲学でもない、思想でもない、宗教でもない、それらとは一線を画すような技術としてすさまじく精密に体系化されていた。

意識にある質問や疑問だけでなく、無意識にある昔の質問も溢れてきて、それら全部をぶつけた。

どれほどぶつけても、それに答えてくれる手応えを感じていた。

そこには誤魔化しなどなかった。

楽しくなってしまった私は、ひたすら学び、そして問うた。質問と答えを繰り返していた。

ある時、質問が消えた。考えが消えた。世界が静かになった。

その時私は悟り知った。無数の質問の根本にある、最後の質問にたどり着き、そしてその質問に、最後の答えが来たのだと。

ファイナルクエスチョンとファイナルアンサー。

自分と自分の宇宙が完全に消えてしまった。

完全に消えたからこそ、理解できるHITOTSUのイメージがあった。

あぁ、nTechの創始者であるノジェス先生が伝えたかったことはコレか…

これと出会うために、nTechは作られたのかと感嘆した。

そのイメージと出会った時、目の前の現実は何にも変わらないのに、全てが変わっていることが認識できた!

歓喜の爆発、愛の爆弾、全ての現象が美しくみえた。

私にとってただのつまらない現実世界が、神秘神聖で美しく愛に溢れた世界になった。

絶望しか感じれられなかった世界が、希望しかない世界に変わってしまった。

全ての悩みがあまりにも小さくなり、可愛くなり、吹いて飛ぶように消え去った。

人生の方向性が明確に観えた。それは誰かに教えてもらうような世界ではない。自ら観て分かる世界だった。

毎日をどう過ごせばよいのか、時間をどう活用すれば良いのか、自然と理解した。

戦争や紛争、鬱や自殺、犯罪が一掃されるvisionが観えた。

温泉を掘り当てたかのような、生きる力が溢れでてきた。

人間関係の築き方、信頼の築き方も自然とわかるようになり、悩まなくなった。

教育が変われば人間が変わる。人間が変われば社会が変わる。そして文化文明も変わっていく。

資本主義の限界も、共産主義の限界も、AIの限界も、人間の脳の限界もハッキリ観える。そしてその限界を補っていく世界も分かる。

この何もできない小さな身体が自分ではない。

本当の私は純度100%の心の動き。不可能性そのものと無限大可能性を理解することで、本当のアイデンティティーを悟り知った。

そこから初めて観える日本文明の姿があった。

日本はオールゼロ化のモデル国家だ。

明治維新の時、命より大事な刀を手放して、ちょんまげを切り、西洋の文化と技術を取り入れた。それは徹底したものだ。

言葉で書くと簡単だが、これはとんでもないことだ。日本にはこれまでの歴史、文化ともに長く、誇りとプライドがある。それを手放すなんて異常にも思える。

だが、この時日本は世界をみつめていた。西洋を超えるためには手放すしかないと決断して覚悟を決めた。

だから、アジアで唯一、いち早く近代化に成功できたのだろう。

さらに、それを超えるオールゼロ化がある。

それが1945年8月15日だ。

日本は朝鮮を手放し、満州を手放し、中国領土を手放し、台湾を手放し、アジアの領土を全て手放した。

そして原爆を二つ落とされてもアメリカを恨まなかった。

その後、むしろ日本はアメリカの夢を応援した。アメリカに最も信頼される国となった。

これは一体どういうことだ?人間的な感情は無いのか?と思うほどに不可解だ。そんな事をどこの国ができるのだろう。

日本はアメリカと戦えば、世界が滅びるほどの核戦争になっていく未来に繋がる事がわかっていた。

天皇は確実にそれが観えていたと思う。

だから恨みの連鎖を止めた。子供たちにも恨みを継承しなかった。

こんな事は普通できない。

私はこの時、日本は人間の尊厳を守ったと思う。

AIから人間を見た時、戦争や紛争、対立が止められない人類を見て愚かだと思うだろう。だが、この時の日本の決断は驚くに違いない。

今人類社会は確実に限界が来ている。

AIがどれほど進化しても、人間そのものが変わらなければ問題は根本的に解決されない。

世界機軸教育nTechは日本で生まれた。

韓国人であるノジェスが日本で発見したHITOTSUのイメージ。そこから彼が観た日本文明の美しさ。

そして発明したnTech。

人間そのものがそっくり変化することが可能になった。

しかもnTechは28年間進化し続け、その変化にかかる時間は1日になろうとしている。

今では早い人は2日や3日、大抵の人は1週間で身体人間から愛に溢れる心人間に変わることができる。

その変化は精子1匹が100年生きる人間に変わるほどの、大きな変化だ。

トランスジェンダーの人は男から女へ、女から男へ変わろうとする人がいる。それは簡単ではない変化だ。

仏教徒からキリスト教徒へと変わる人もいる。それもとても難しい。

もっと言えば、死んで生まれ変わって別の人間になる、という変化もすさまじい変化だ。

認識技術による変化は、それらをはるかに超えてしまうほどの変化を起こす。

これは今からどんどん広がってくる。AI革命よりもすさまじい、人間の尊厳が開花する教育革命が起きようとしている。

それは日本から世界へ。

ぜひ世界がひっくりかえる準備をしてほしい。

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